山形大学人文社会科学部附属研究所

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資料室ブログ

このブログは、高校生・大学生、一般の方に、外交官・常設国際司法裁判所裁判官として活躍した安達峰一郎の「国際法にもとづく平和と正義」の精神を広く知って頂くために設けました。安達峰一郎に関するイベント等の情報、安達峰一郎の人となりや業績等に関わる資料紹介、コラムやエッセイ、今日の国際関係に関わる記事等を随時配信していきます。

駐メキシコ公使時代の安達峰一郎―安達峰一郎とウッドロー・ウィルソン―(2)「メキシコ革命」の時代

投稿日:2018年10月2日 投稿者:山形大学人文社会科学部教授 北川忠明

 安達が、駐メキシコ公使に任ぜられたのが、1913年(大正2年)1月8日、メキシコに向け出発したのが5月、到着したのが7月22日です。ウィルソンの方は、1912年11月の大統領選挙で当選、1913年3月4日に大統領に就任しています。
 当時は、1910年に始まり1940年に終結するとされる「メキシコ革命」の時代です。今回はメキシコ史に関する本(国本伊代『メキシコの歴史』、新評論、2002年。同『メキシコ革命』、山川出版社、2008年)にそって、簡潔に粗描しておきます。
 メキシコ革命は、ポルフォリオ・ディアスの独裁体制の打倒を目指してフランシスコ・マデロが武装蜂起した1910年11月20日に始まります。打倒されたディアス体制の時代は、1876年から1911年までの35年間にわたって存続しました。1821年にスペインから独立して以来不安定であったメキシコ政治が長期安定を迎えた時代のようです。ディアス体制は、自由主義経済の確立を目指し、近代化を推進した時代です。この自由主義化と近代化の中で、産業化が発展し、貧富の格差は増大していきます。上からの近代化推進ですから、伝統的支配層と結託して進められるわけですが、これに対して政治的民主化を求める運動や前近代的な社会・経済構造を変革しようとする運動が起り、1910年のマデロの武装蜂起によって、ディアス独裁体制が崩壊するのです。ここから始まる革命動乱は、1920年にはひとまず収まるようですが、ほんとうに混沌とした時代で、概ね次のように5段階に区分されています。
 第1段階―1910年11月20日のマデロの武装蜂起の日から、ディアス大統領が亡命する1911年5月まで。
 第2段階―マデロが実権を握り、さらに選挙で大統領に選出されたものの、改革に取り組む過程で暗殺された1913年2月21日まで。この時期は政治の民主化を最優先課題としたマデロと、農地改革を要求する急進的な農民勢力が対立した時期でもあるようです。
 第3段階―マデロが暗殺され、1914年7月15日まで実権を握ったヴィクトリアーノ・ウエルタ将軍の「反革命政権」の時代。この時期は血みどろの動乱の時代で、北部諸州の自由主義勢力を結集し「護憲派」勢力として台頭したカランサをリーダーとして、ウエルタ政府が倒されることになります。
 第4段階―ウエルタ政府倒壊後、革命勢力のなかでフランシスコ・ビリャ派とエミリアーノ・サパタ派の政府、ヴェヌスティアーノ・カランサ派の政府の二つの政府が生まれ、内戦が展開するが、カランサ派が国土の9割を支配下に治める1915年10月まで。
 第5段階―カランサ派が1917年に革命憲法を制定した後、大統領となったカランサがクーデタで殺害される1920年までの時期。
 安達が駐メキシコ公使を務めたのは、よりにもよって第3段階と第4段階の大動乱の時代でした。そして、駐メキシコ公使としての安達はこの動乱の中でドラマチックな体験をすることになります。

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