ホーム > 人文社会科学部附属研究所 > やまがた地域社会研究所:安達峰一郎研究資料室 > 資料室ブログ > 駐メキシコ公使時代の安達峰一郎―安達峰一郎とウッドロー・ウィルソン―(3) メキシコ動乱とウィルソン大統領
このブログは、高校生・大学生、一般の方に、外交官・常設国際司法裁判所裁判官として活躍した安達峰一郎の「国際法にもとづく平和と正義」の精神を広く知って頂くために設けました。安達峰一郎に関するイベント等の情報、安達峰一郎の人となりや業績等に関わる資料紹介、コラムやエッセイ、今日の国際関係に関わる記事等を随時配信していきます。
投稿日:2018年10月5日
安達がメキシコに到着したのが1913年7月で、その前の2月21日にマデロが暗殺されメキシコ革命も混乱の一途を辿っていた時期です。安達の前任者は、堀口九万一(くまいち)公使です。詩人・文学者の堀口大學の父親です。安達着任までの動きをフォローしておきましょう。
2月9日朝、革命騒動が起り、元大統領のディアスを担いで政府転覆の動きも現れるなかで、マデロ大統領夫人と両親たち家族が日本公使館に避難してきたようです。堀口公使は政治的動きがないよう注意しながら、保護に努めるのですが、2月18日、ウエルタ将軍が軍を率いて、マデロ大統領と政府要人を捕虜にします。2月20日には、マデロ大統領が辞任し、ウエルタが臨時の大統領に就任します。なお、22日には、ウエルタが新内閣を組閣し、各国公使からなる外交団と接見しました。そのとき、旧外務大臣から、前大統領の家族の保護に対して謝礼が述べられ、日本人の道徳性の高さについて評判が高まったと、堀口公使は報告しています。
このとき、臨時政府の中は、ウエルタ派と大統領選出馬に意欲を持つディアスを担ぐディアス派が暗闘していて、不安定ですが、ウエルタ派が有力な状況です。また、メキシコ北部諸州では反乱の動きが活発になっていて、カランサ派が米国の領土内から北部諸州の叛徒と通じていること、分離独立の動きには米国資本家の後援があること、米国政府も事変に乗じようとする米国資本家を度外視できない状況であることなどが伝えられています。
このような情勢の中で、メキシコ臨時政府承認問題が起ります。当時の駐メキシコ米国大使はヘンリー・ウィルソンで、2月には率先してウエルタ大統領就任を承認するとしていたのに、3月に突如、外交団は仮政府の正式承認を保留するという提案をしたのです。このアメリカの提案に反対して、先ずイギリスが、次いでフランスがウエルタ政府を承認し、他の欧州諸国と南米諸国も続きます。こう伝えているのは田辺熊三郎臨時代理公使ですが、アメリカだけ保留としているのは、1910年のマデロの革命争乱時に米国人が蒙った損害の賠償問題やチャミサル(現在はアメリカのニューメキシコ州にあります)領土問題等の懸案問題を同時に解決することを条件にしたいという背景事情があったようです。
さらに、3月4日に就任したウッドロー・ウィルソン大統領は、ウエルタ政府は法に基づいた正統政府ではないという言い分で不承認を主張します。ウィルソン大統領は駐メキシコ大使を呼んで会談し、大使が政権承認を主張したので、その大使を辞任させ、前ミネソタ州知事のジョン・リンドを特使してウエルタのもとに派遣しますが、リンドとウエルタは決裂してしまいます。アメリカの提案は、各派の戦闘休止、大統領公選の実行、ウエルタは立候補しないこと等でした。
安達が着任したのは、このように、ウィルソンがウエルタ政府承認問題をめぐってメキシコに介入した頃で、またメキシコ国内の混乱が増幅しつつあった時代です。
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