ホーム > 人文社会科学部附属研究所 > やまがた地域社会研究所:安達峰一郎研究資料室 > 資料室ブログ > 駐メキシコ公使時代の安達峰一郎―安達峰一郎とウッドロー・ウィルソン―(5) 錯綜する日・米・メキシコ関係
このブログは、高校生・大学生、一般の方に、外交官・常設国際司法裁判所裁判官として活躍した安達峰一郎の「国際法にもとづく平和と正義」の精神を広く知って頂くために設けました。安達峰一郎に関するイベント等の情報、安達峰一郎の人となりや業績等に関わる資料紹介、コラムやエッセイ、今日の国際関係に関わる記事等を随時配信していきます。
投稿日:2018年10月12日
安達の着任時には、前回見たようにウィルソンとウエルタ政府との関係は険悪の一途を辿っていました。
安達は着任後、臨時政府承認に関する「天皇陛下の御答翰」を捧持し、それに対してウエルタ政府は答礼使節を日本に派遣することを決定しました。安達は「米国政府が未だ現メキシコ国仮政府に承認を与えざること及び米国人が往々北部の叛徒を援助しおること」は現政府に忠実なメキシコ人一般が憤慨していることで、8月に入ってますます反米感情が高まっていることを報告し、答礼使節派遣は、日米間の係争問題に乗じて何か謀(はかりごと)があるような深い政治的意味はないと思われると述べて、日本政府の対応を依頼しています。しかしアメリカとウエルタ政府との関係は険悪になっているので、日本政府は相当に慎重です。
また、安達は、「メキシコ駐在の各国公使連の話」として、米国の底意はメキシコに内乱を起こし、好機に乗じてメキシコを分割し、親米的な一、二の共和国を樹立してパナマへの陸路を掌握しようとするもので、これまでの中南米におけるアメリカの行動からしてそう推測できるという話や、米国は北方の「叛徒」(注―カランサ派)に内密の援助を与え、内乱を継続させようとしているのだという話を牧野伸顕外相に伝えています。さらに、米国に対する忠告をするため、安達にも欧州諸国公使間の会議に出席してもらいたいとの意向があること、また欧州各国にならって軍艦を派遣してほしいとの意向があることを伝えています。
欧州諸国の要請に対して、安達は、日米両国の親善とアジア問題が重要であることを日本の立場として伝えますが、日本政府には「主義として欧州諸国と協調すること」で臨むと伝えています。アメリカ・メキシコ関係が相当に悪化していますし、日米関係も移民問題をめぐって悪化しています。このような状況の中で、安達は日本単独でアメリカに対応することはできないので、欧州諸国と協調して対応するというスタンスをとります(牧野外相宛、1913年8月10日付け)。
他方、牧野外相と珍田駐米大使は日米関係を重視して、これ以上日米関係が悪化しないように、米国の意向も無視しないようにと気を使い、軍艦派遣には及び腰です。
そうするうちに、10月に、旧マデロ大統領派議員の失踪事件をきっかけとして上下両院で政府批判が高まった折に、ウエルタが両院を解散し、10月26日に大統領選挙と同日に選挙を行うことにします。アメリカはこれを暴挙、反憲法的と非難しますが、選挙は26日に行われます。大統領選ではカランサは公正な選挙が望めないとして選挙参加を拒否し、その結果元大統領のディアスが当選します。アメリカはディアスを支援していたようですが、ウエルタは、選挙場の数が規定通りではなかったとして、新議会にディアスの当選を無効と宣言させ、臨時政府の継続を図ります。これに対してウィルソン米大統領はウエルタの辞任を迫ります。
状況はますます混沌としたものになります。欧州諸国からは日本も軍艦派遣をという要請が強まり、11月初旬、駐メキシコ・フランス公使が安達を訪問して、米国官民の行動によって内乱がますます拡大している状況だから、日本も「インデファレンス」(無関心)の態度を続けると発言権を失いますよとの忠告を受けます。
実は安達もこの忠告に先立って、牧野外相宛に軍艦派遣を要請していますが、アメリカを刺激しないように「ヴィジット・オブ・カーテシー」(表敬訪問のことです)として派遣してはどうかと打診しています。こういう中でのフランス公使の訪問だったのですが、日本政府も対応に苦慮します。が、結局「在留邦人保護を目的」として軍艦出雲を派遣するのです。こうして、12月22日、軍艦出雲がマンゼニョ港に着港します。
安達も日米関係を気にしていたものの、日本・メキシコ通商関係を発展させるというミッションを達成するためにも、対欧州諸国協調を優先して、出雲派遣に動いたというところでしょう。
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