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このブログは、高校生・大学生、一般の方に、外交官・常設国際司法裁判所裁判官として活躍した安達峰一郎の「国際法にもとづく平和と正義」の精神を広く知って頂くために設けました。安達峰一郎に関するイベント等の情報、安達峰一郎の人となりや業績等に関わる資料紹介、コラムやエッセイ、今日の国際関係に関わる記事等を随時配信していきます。
投稿日:2019年10月23日
言うまでもありませんが、国際連盟と常設国際司法裁判所は、戦争違法化に向けて集団安全保障を制度化した初めての画期的試みでした。しかし、短期間に作られたこともあって、仲裁裁判や国際司法裁判における応訴義務(他国から訴えがあった時に応じる義務)導入に関する難問等が積み残されていました。そのため、1924年にイギリスで労働党政権、フランスで共和左派政権が誕生し、侵略戦争禁止を目的として国際連盟規約の不備を是正しようとする動きが急速に出てきて、同年の国際連盟総会でジュネーブ議定書が採択されることになります。
このジュネーブ議定書審議過程で問題になったのが、安達の名が結び付いている「日本事件」です。
議定書策定の発端は、仲裁裁判と国際司法裁判に応訴義務を導入・拡大して、紛争の平和的解決の実効性を高めようとするイギリスとフランスからの提案です。国際連盟総会日本代表の石井と安達はこれを時期尚早と考えていたし、規約や規程の不備を議定書という形で補うという考え方には消極的でした。幣原喜重郎外相も外務省も従来の方針通り、応訴義務には否定的ですが、石井と安達は、応訴義務導入は不可避の情勢と考えます。幣原外相は、応訴義務導入がやむを得ないとしても国家の名誉・独立、「緊切ナル利益」等に関する政治的問題は対象外とすること、また、国際連盟規約の第15条第8項に「国内管轄」事項と認められた問題は連盟の審査の管轄外にするというのは応訴義務拡大に反するではないかと問題を指摘します。
石井と安達はこれを承けて、議定書原案への修正案を安達提案として提案し、「日本事件」なるものを惹起するのです。詳しいことは専門的な研究を見て頂きたいのですが、簡単に言うと、連盟規約第15条第8項の「国内管轄」事項に関する規定では、連盟理事会に紛争事案が提議された時に、これが国内管轄事項だと審査されれば、理事会は関与しないことになっているのですが、議定書案では、侵略国の定義問題に関わって、国際連盟の管轄外とされた事項をめぐり、一方の国が最終的に戦争に訴えた場合、つまり先に攻撃した場合、その国は侵略国になり、国際連盟の共同制裁を受けるとされていました。安達や石井が持ち出したのは、アメリカにおいて移民差別が行われ(1924年に排日移民法が成立しています)、差別撤廃をめぐって紛争になったときに、そのまま放置するのかということです。放置しながら、武力行使にいたった場合、侵略として共同制裁を加える。これはおかしいので、国際連盟がこの種の紛争に関与すべきだという趣旨で、安達は議定書案への修正案を出したのです。この問題が紛糾して「日本事件」とまで言われるようになったのですが、結局は修正案の趣旨が認められて、国内管轄事項をめぐる紛争でも連盟総会と理事会が関与することになりました。
この結果議定書が採択され落着するのですが、ある意味で安達と石井のコンビの勝利と言ってよいでしょう。安達峰一郎博士顕彰会『国際法に基づく平和と正義を求めた安達峰一郎』に収録された珍田捨巳(パリ講和会議の全権の一人でもあり、侍従長も務めました)の大正15年(1926年)4月11日付け安達宛書簡では、「国際連盟に関する御活動については、先般一時帰省の新渡戸博士等より詳細承り、影ながら敬服の感に堪えず候。同博士の如きは、石井安達両大使は実に我国宝なりと口を極めて推称いたし居り候…」(134頁)とあります。おそらく、ジュネーブ平和議定書問題における石井と安達の活躍も含めて評していると思いますが、新渡戸をして石井安達は「我国宝」と言わしめたほどの、最高のコンビであったと思います。
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