山形大学人文社会科学部附属研究所

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資料室ブログ

このブログは、高校生・大学生、一般の方に、外交官・常設国際司法裁判所裁判官として活躍した安達峰一郎の「国際法にもとづく平和と正義」の精神を広く知って頂くために設けました。安達峰一郎に関するイベント等の情報、安達峰一郎の人となりや業績等に関わる資料紹介、コラムやエッセイ、今日の国際関係に関わる記事等を随時配信していきます。

日本文化・芸術を紹介した安達峰一郎(その2)

投稿日:2019年12月5日 投稿者:東北大学高度教養教育・学生支援機構准教授 深井 陽介

 昭和4年(1929年)6月にはパリのジュー・ド・ポム国立ギャラリーにおいて「巴里日本美術博覧会」が開催されました。日本の文部省、外務省、大使館が中心となって実行にあたり、安達は大使としてその中心的役割を担いました。この目的の1つは、浮世絵などの江戸絵画に関心を寄せてきたヨーロッパの顧客層に対し近代日本画を紹介し、美術市場の活性化を図るものでした。
 1929年山本海軍大将に宛てた手紙では(紅ファイル5-8)、「4週間弱で既に60点以上の大きな絵が売却され入場者数は既に30,000人を超えています。それは今までの展覧会でも最大の成功です」と述べ、また別の手紙では「両国の人々が知的に接近したことを深く喜んでいる」と語っています。
 この展覧会に関する少し面白いエピソードをご紹介しておきましょう。 1929年5月31日に展覧会を準備していたD’Oelsnitzという人物に宛てた、フランス語で書かれた気送速達便です(紅ファイル4-303)。

 前略
 私は、日本展の準備を視察した際、たいへん満足したことを再度申し述べたいと存じます。立ち去る際に、私は二つのことに気付きました。一見取るに足らないことのように思われますが、場合によっては後に重大な結果を引き起こす可能性のあるものです。

1)日本国旗の日の丸が、我が国の政府が60年前に定めた規則に反して小さすぎます。もっと大きくなくてはなりません。もっとも、それは国旗の大きさに見合った正確な寸法を大使館事務局に問いあわせれば済むことです。

2)ポスターについては、浮世絵の複製に目をとめたのですが、これにはぞっとするような醜い当時の遊女が描かれておりました。東京の印刷会社は、お品書きの用紙として使用するこの手の複製をしばしば送ってきますが、私は全て屑籠に投げ捨てました。ポスターを完全に差し替えることは、とても望ましいというばかりか、不可欠でさえあります。私見では、もっとも良い手段は、藤田画伯に、たとえば金太郎や桃太郎といった伝説的なヒーローを描いた特別なデッサンの作成を依頼することです。金太郎や桃太郎は、純日本的な人物であり、エネルギーと知性を鼓舞するわが民族の精気の化身ともいえる人物なのです。                                取り急ぎ

  気送速達便というのは、気送管という管に空気圧を送って送る速達の手紙で、初期は電報などを送る際に利用され、フランスでは1875年より実用化されました。この時、安達は開催の6月間近に迫った展覧会に間に合うよう、準備をしているD’Oelsnitzに急いで送っています。
 安達は、普段穏やかで、老若男女分け隔てなく非常に丁寧な手紙を書く人ですが、この時は美術展の準備を見て気に入らない点があり、丁寧ではありながらはっきりと変更の希望を表明しています。
 その第1点は「日の丸」の大きさです。天皇家の祖である天照大神は、文字通り太陽と深く関わり、聖徳太子が「日出処の天子」と言う表現を用いたように、日の出と天皇のイメージは深く結びついています。更に、日本という国名も「日の本」と書くように、太陽と深い関係を持っています。安達は、その日の丸が、明治政府が定めたものに比べて「小さすぎる」ことに対し「重大な結果を引き起こす可能性がある」と述べています。まるで、天皇や大日本帝国を冒涜していると捉えられかねないと注意を促しているかのようです。
 第2に、展覧会のポスターに使われた「ぞっとするような醜い遊女」の浮世絵を批判しています。それは「印刷会社」がパーティーなどの「お品書き」に用いるように送ってきた浮世絵に似ており、全て屑籠に捨ててしまったと言っています。普段丁寧に、婉曲的な表現を使い手紙を書く安達が、「醜い」という直接的な形容詞を用い、「全て屑籠に捨てた」などと述べることは稀です。これは現代においてもよくあることですが、日本の伝統文化が間違った形で伝わってしまうことを懸念しているのでしょう。ヨーロッパでは既に浮世絵が賞賛されもてはやされていました。安達は、それ自体は良いにしても、日本人が美しいと認めないような下卑たものが堂々と掲示され、あたかも本物の日本の美術作品だと誤解されることには納得がいかなかったのでしょう。
 「金太郎や桃太郎は、純日本的な人物であり、エネルギーと知性を鼓舞するわが民族の精気の化身ともいえる人物なのです」などと書かれると、現代を生きる私達はそんなに凄い人だったのかと思わず笑ってしまいそうになりますが、当時は少し事情が違うようです。桃太郎が日の丸の鉢巻きをするようになったのは明治時代からで、天皇中心の国家体制が樹立されたことで、桃太郎は周辺国を従えた勇ましい大日本帝国の象徴として利用されました。事実、太平洋戦争の終焉まで桃太郎は多くの国語の教科書や唱歌、図画の教材などにされます。意識的か無意識的かは別として、安達が日本絵画展にこのような修正を依頼する時、当時の日本人としての価値観と、ヨーロッパにおける日本のイメージを高めたいという願望が見え隠れしているように思われます。
 最後に、ポスターの代わりの絵を藤田嗣治に描いてもらうように指示していますが、このあたりも、安達峰一郎のナイスアシストと言えるのではないでしょうか?このように、安達峰一郎は現代ほど数多くの日本人が住んでいない遠い花の都パリで、若く野心的な芸術家たちを庇護することで、日本の文化をヨーロッパに広めることに尽力したのです。

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