ホーム > 人文社会科学部附属研究所 > やまがた地域社会研究所:安達峰一郎研究資料室 > 資料室ブログ > マドリード理事会前後(その1)
このブログは、高校生・大学生、一般の方に、外交官・常設国際司法裁判所裁判官として活躍した安達峰一郎の「国際法にもとづく平和と正義」の精神を広く知って頂くために設けました。安達峰一郎に関するイベント等の情報、安達峰一郎の人となりや業績等に関わる資料紹介、コラムやエッセイ、今日の国際関係に関わる記事等を随時配信していきます。
投稿日:2020年2月17日
皆さん、こんにちは、はじめまして。新潟県立大学の黒田と申します。東北大の深井先生が先のコラムで述べておられましたように、私も、この度、山形大名誉教授の北川先生、深井先生とご一緒して、駐仏大使時代の安達峰一郎のフランス語書簡2617通を読み、その中から重要なものを選択・翻訳する作業に取り組みました。戦間期フランスの国際関係思想に関心を抱く私にとっては、とても知的刺激に満ちた大変に貴重なひとときでした。そこで今回は、私が下訳を担当した1929年1月から6月までの書簡の中から安達ファンの皆様にとっても関心を持っていただけそうな手紙を何通かご紹介できたらと思います。しばしおつきあいいただけましたら幸いです。
最初は、1929年6月、安達が議長を務めた国際連盟マドリード理事会終了後、パリに戻った安達がしたためた礼状のなかの一通で、宛先はスペインの貴族、ミランダ公爵です(紅ファイル4-315:MIRANDA公爵, Palais Royal, マドリード, 1929年6月20日)。
拝啓
パリに戻ってまいりまして、私の最初の思いはマドリードに向けられております。まるまる2週間のあいだ、私たちは、いつも国王と国民の皆様からありとあらゆる種類の歓待の対象となりました。陛下と王妃、それに高貴なる王家の主要な方々が行った盛大なパーティーには、心から感動させられました。私どもは、陛下がいまだ喪に服されていたことを知っておりましたし、セビリアとバルセロナにおける素晴らしいふたつの展覧会の折にご公務をなさってから間もないことを存じあげておりました。このような状況のさなかに、陛下は、私が重要な会議を指揮した国際連盟理事会のために大晩餐会と輝かしいレセプションを催すことをお許しになりました。
国王陛下の政府が、私どもの仕事を容易にし、私たちの滞在を快適なものとするために行った時間的、物質的配慮につきましては、ここでは申しあげません。国民と市井の人びとの振る舞いについても長々と述べたてませんが、自発的なすべての行為は、すべての理事会メンバーとそれに随行した数多くの協力者の心を深く感動させました。
私にとってもっとも幸せだったのは、餞別の思いをこめてこの大好きなスペインの首都を離れなければならなかったとき、国王陛下が自らの指揮でフランスとの国境までご自分の専用客車を私に利用させてくださったことです。私は、貴国の国王陛下のこの素敵な申し出を受け入れることしかできませんでした。国王のお望みは勅命にほかならないのですから。この格別なご厚情のしるしに、私は、心の奥底まで感動いたしました。というのも、私は、26世紀にわたって絶え間なく熱意をもって君主を崇拝してきた国家に属する者だからです。
閣下は、私たちの心がどれほどまでに感動したのかをご存じです。すべてのことが敬意をもって感謝しております私たちの気持ちのなかに深く刻まれ、残り続けますので、どうかご安心くださいませ。ここに非力な私どもの感謝のお言葉をみいだされ、もしも良き機会がございましたら、玉座にまします国王陛下にご献上くださいますれば、無上の喜びに存じます。 敬具
マドリードでの連盟理事会が無事に終わったことへの安堵感と会議を手厚く支援してくれたスペイン王家への敬意に満ちた書簡です。北川先生、深井先生との下訳の確認作業の折、フランス文学がご専門の深井先生がこの手紙に表れている安達のフランス語の格調の高さを指摘され、強調されていたことが心に残っています。例えば上記書簡の結びを原文でみると、こんな感じです。
Vous savez jusqu’à quel point notre cœur fut ému, tout cela soyez assuré restera toujours très profondément gravé dans notre mémoire respectueusement reconnaissante. Veuillez trouver ici les bien faibles expressions de notre reconnaissance et je vous serais infiniment gré de vouloir bien, lorsque l’occasion vous paraîtra bonne, les faire monter jusqu’au Trône occupé si noblement par votre Auguste Souverain.
安達のフランス語については、深井先生が改めてコラムで論じられるとのことなので、
それを楽しみに待ちたいと思います。安達は、時のスペイン首相、エステラ侯爵への礼状の一節でもスペインへの思いを以下のように綴っています(紅ファイル4-312:de ESTELLA侯爵, マドリード, 1929年6月20日)。
寛大にも国王陛下が鉄道の利用を私たちのために手配してくださいましたが、その列車に乗って出発する際、閣下が個人的に来てくださったことは非常に驚きでした。というのも、私の同僚のシュトレーゼマン独外相がほぼ同時刻に別の駅から出発しなければならず、閣下は両方の出発に立ち会いたいとお望みだったにもかかわらず、私どものほうに来てくださったからです。閣下が妻に贈ってくださった麗しきスペインの花束は国境まで私たちの手元にありましたが、列車の積み替えの際の混乱で、王家の専用列車のなかに置き忘れられ、ビアリッツに到着して、この花束を取り戻すために、急いで電報をイルン宛てに送りました。その結果、マドリードでいただいた時と同じくらい美しい状態でほどなくして戻ってまいりました。花束とともにパリに戻ってまいりまして、今は、居間に彩りを添えております。それは、閣下が国際連盟理事会の議長の妻を称える大いなる友情の輝かしき証ではないでしょうか。
このように深い満足を覚えたマドリードでの連盟理事会で安達はいったいなにを成し遂げたのでしょうか。そしてそのためにどのような準備を行ったのでしょうか。次回は、そのことを少し詳しく書きたいと思います。
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