KIYOZUKA Kunihiko
コース:人間文化コース
メールアドレス:kiyozuka@
ホームページ:
オフィスアワー:シラバスを参照してください。
専門領域:哲学
大学院担当:文化システム専攻 英米哲学
山形大学研究者情報:http://yudb.kj.yamagata-u.ac.jp/html/422_ja.html
※メールアドレスの@以降は「human.kj.yamagata-u.ac.jp」になります。
― : 先生の専攻は哲学と人間情報科学と2つの分野にまたがっていますが、どういうことでしょうか?
清 塚: 私の研究している言語哲学では記号論理学の知識が必須なのですが、論理学は人文科学系の分野とコンピュータの接点にあたります。論理学はもともと哲学の一分野でしたが、そこで重要視されてきたのは、記号の形やその変形に関わる規則でした。ですが、記号の形を認識したり、それを規則にしたがって変形することは、コンピュータの基本性能でもあるわけです。
― : 言語哲学とはどんなことを研究しているのでしょうか?
清 塚: 20世紀以前はデカルトなどの認識論が主流だったのですが、20世紀になってからは、言語の問題に哲学者の関心が集まるようになりました。20世紀の代表的な哲学者ヴィトゲンシュタインは「思考にではなく、思考の表現に限界を定めようとする。なぜなら、思考に限界を定めるためには、その限界の両側を(したがって、思考されえぬものを)思考できないからだ。」と『論理哲学論考』に書いています。つまり思考の限界を言語の限界が定めているのです。言語を考えることで人間の知的な能力の本性を明らかにしようとしたのが20世紀の言語哲学です。
― : 「楽しい」や「悲しい」という感情は言語によって表すことがなかなか難しいと思いますが。
清 塚: 感情をそのまま言語に表せなくても、「友人と遊んだから楽しい」など言語によって理由をつけることができますよね。いろんな動物が感情を持っていますが、言語によって感情を繊細に「分節化」できるのは人間だけです。
― : 先生はどうして言語哲学の道に進んだのでしょうか?
清 塚: 大学時代、言語哲学が流行っていました。そこで私も興味が出てきて言語哲学の道に進んだのです。しかし最近の言語哲学は限界が見えてきました。もっと包括的に心や認知の問題を考える心の哲学が流行してきました。しかし私は、もともと絵が好きだったこともあり、言語からそれ以外の記号系のほうに興味が移ってきました。言語にしても、フィクションの言語のような従来は変則事例のように見なされがちだった領域に興味があります。今後は絵画やフィクションについての哲学的分析をもう少し深めてみたいと思っています。
― : では高校生に一言お願いします。
清 塚: 高校時代は短いようですが、貴重な時間です。悔いのないように過ごしてください。
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