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大久保 清朗

ŌKUBO Kiyoaki

コース:人間文化コース
メールアドレス:okubo@
ホームページ:
オフィスアワー:シラバスを参照してください。
専門領域:映画研究、表象文化論
大学院担当:文化システム専攻 表象文化理論特論 表象文化理論特別演習
山形大学研究者情報:http://yudb.kj.yamagata-u.ac.jp/html/100000496_ja.html

※メールアドレスの@以降は「human.kj.yamagata-u.ac.jp」になります。

研究テーマ

  • 日本映画史(成瀬巳喜男研究、水木洋子研究)。

論文

  • わたしの内なるイスメーネー,中央評論,(314) 65-72,2021年01月
    単著
  • 映画における晩年性――アンドレ・バザンとフランソワ・トリュフォーの老化をめぐる議論,山形大学人文社会科学部研究年報,(17) ,2020年03月
    単著
  • 暁の歌を聴け――水木洋子脚本作品における京マチ子,ユリイカ,51(13) 184-190,2019年08月
    単著
  • 名状されない何か――山戸結希『おとぎ話みたい』をめぐって,ユリイカ,51(12) 183-189,2019年07月
    単著
  • 尺八と人形浄瑠璃――『お国と五平』における成瀬巳喜男の音響演出,山形大学人文社会科学部研究年報,(16) 1-43,2019年02月
    単著
  • 女たちの闇の奥――ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』から『ビガイルド』へ,ユリイカ,50(4) 177-185,2018年03月
    単著
  • ソラリス・シンドローム 日本アニメの現在,中央評論,63(2) 57-73,2011年07月
    単著
  • 夕暮れのなかの子供たち 細田守論,中央評論,61(4) 104-123,2010年01月
    単著
  • 回帰と再生 成瀬巳喜男の『浮雲』演出,超域文化科学紀要,(13) 85-104,2008年11月
    単著
  • 予期せぬ追悼の物語 成瀬巳喜男論序説,中央評論,60(2) 51-65,2008年07月
    単著
  • 作劇と情熱 水木洋子の『浮雲』脚色,表象02,(2) 224-244,2008年03月
    単著
  • Kimiko in New York,ROUGE,(10) ,2007年01月
    単著
    http://www.rouge.com.au/10/kimiko.html
  • 動揺と均衡のはざまで 成瀬巳喜男監督『秋立ちぬ』における一場面をめぐる考察,表象文化論研究,(5) 78-97,2006年03月
    単著
  • ニューヨークの成瀬巳喜男 『妻よ薔薇のやうに』からKimikoへ,映像学,(73) 23-42,2004年11月
    単著

著書

  • 映画 (えいが) ってどうやってつくるの?,西村書店東京出版編集部,2019年00月
    https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB28284550
  • 不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話,清流出版,2011年03月
  • 映像表現の地平,中央大学出版部,2010年12月
  • 映画監督 成瀬巳喜男 レトロスペクティヴ,コミュニティシネマ支援センター,2005年09月
  • 成瀬巳喜男の世界へ(共著),筑摩書房,2005年06月

学外での活動(高大・地域連携等)

  • 「ドキュメンタリーとフィクションのはざまで」,2012年02月
  • 講演「シャブロル映画の女たち」,2011年05月
  • 対談「シャブロルという名の快楽」,2011年04月
  • シンポジウム「浮雲をめぐって」,2008年12月
  • 講演「『浮雲』における水木の脚色と成瀬の演出」,2008年12月
  • 特集「溝口健二と成瀬巳喜男」,2008年01月

インタビュー

 ― : 先生の専門領域を教えてください。
大久保: 映画を研究しています。とりわけ第二次世界大戦前後の日本映画に興味があります。大学院では、成瀬巳喜男という日本の映画監督について研究をしてきました。
 ― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
大久保: いささか抽象的ですが、映画がいかにして現実をつくっていったか、あるいは映画がいかに物語(=歴史)を語り、かつ歴史(=物語)を作り上げていったかを研究します。それを通し、私たちが抱いている「現実的なるもの」が「映画的なるもの」によって支配されているかを研究します。わたしは映画が誕生する生成のプロセスに興味がありました。映画はただひとつの天才によって創造するものではなく、多かれ少なかれ、さまざまな制度的・文化的状況を「媒介」するものであるからです。ですが同時に、すぐれた映画は、視聴覚媒体として「世界」や「時代」を再現するだけではなく、つねに新しい現実を提示することで世界や時代を刷新してきました。
皆さんのなかには、そもそも映画が学問として成立しうるのかという疑問を持たれる方がいるでしょう。そう思われるとしたら、「映像」があまりにもありふれたものになってしまっているのかも知れません。ですが、もしあなたが映像と現実の境界を引けないとしたら、映像があなたを蝕んでしまっているのでしょう。もしかしたら映像が氾濫する今日、もしかしたらここで学ぶことは「映像に溺れない」ようになることなのかも知れません。
 ― : この研究に興味を持ったきっかけは何でしょうか?
大久保: 『妻よ薔薇のやうに』という日本映画が、アメリカで公開されたことをその映画の解説を読んで知りました。最初は「そうか、これはアメリカでも公開されたのか」と思っていましたが、あるとき、ふと「まてよ、この映画はどうしてアメリカで公開されたのか?どうしてそんなことが可能だったのか?」という疑問が浮かびました。素朴な問いでしたが、その答えはどこにも載っていませんでした。そこから多くの資料に当たり調べた結果が最初の論文になりました。素朴な問いによって、自明であった出来事に思いも知らなかった姿が浮び上がってくることに興奮をしました。
 ― : 最後に高校生に一言メッセージをお願いします。
大久保: 自分の生まれる以前に作られた映画を見てみて下さい。そして、目の前に広がる世界を追いかけながら、そこにあなたは「いない」はずなのに、あなたがそれを、<今ここ>で見ていることに改めて驚いて下さい。<今>という時代がすべてではなく、<ここ>という世界がすべてではないということを知るとともに、あなたがこの世界と時代を<今ここ>で生きることを問い直してください。

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