




― : 先生の専門領域を教えてください。
大久保: 映画を研究しています。とりわけ第二次世界大戦前後の日本映画に興味があります。大学院では、成瀬巳喜男という日本の映画監督について研究をしてきました。
― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
大久保: いささか抽象的ですが、映画がいかにして現実をつくっていったか、あるいは映画がいかに物語(=歴史)を語り、かつ歴史(=物語)を作り上げていったかを研究します。それを通し、私たちが抱いている「現実的なるもの」が「映画的なるもの」によって支配されているかを研究します。わたしは映画が誕生する生成のプロセスに興味がありました。映画はただひとつの天才によって創造するものではなく、多かれ少なかれ、さまざまな制度的・文化的状況を「媒介」するものであるからです。ですが同時に、すぐれた映画は、視聴覚媒体として「世界」や「時代」を再現するだけではなく、つねに新しい現実を提示することで世界や時代を刷新してきました。
皆さんのなかには、そもそも映画が学問として成立しうるのかという疑問を持たれる方がいるでしょう。そう思われるとしたら、「映像」があまりにもありふれたものになってしまっているのかも知れません。ですが、もしあなたが映像と現実の境界を引けないとしたら、映像があなたを蝕んでしまっているのでしょう。もしかしたら映像が氾濫する今日、もしかしたらここで学ぶことは「映像に溺れない」ようになることなのかも知れません。
― : この研究に興味を持ったきっかけは何でしょうか?
大久保: 『妻よ薔薇のやうに』という日本映画が、アメリカで公開されたことをその映画の解説を読んで知りました。最初は「そうか、これはアメリカでも公開されたのか」と思っていましたが、あるとき、ふと「まてよ、この映画はどうしてアメリカで公開されたのか?どうしてそんなことが可能だったのか?」という疑問が浮かびました。素朴な問いでしたが、その答えはどこにも載っていませんでした。そこから多くの資料に当たり調べた結果が最初の論文になりました。素朴な問いによって、自明であった出来事に思いも知らなかった姿が浮び上がってくることに興奮をしました。
― : 最後に高校生に一言メッセージをお願いします。
大久保: 自分の生まれる以前に作られた映画を見てみて下さい。そして、目の前に広がる世界を追いかけながら、そこにあなたは「いない」はずなのに、あなたがそれを、<今ここ>で見ていることに改めて驚いて下さい。<今>という時代がすべてではなく、<ここ>という世界がすべてではないということを知るとともに、あなたがこの世界と時代を<今ここ>で生きることを問い直してください。
― : 先生の専門領域を教えてください。
大 杉: 私の専門領域は認知心理学です。心理学は,人間の脳や心の働きを調べる学問分野ですが,その中でも特に「ものごとを認識する仕組み」を調べる学問が認知心理学です。心理学では,「心」を自然科学として扱うなかで,人間の知能や精神機能をコンピューターになぞらえて研究するようになりました。これによって,記憶,意識,注意,思考,推論,問題解決といった「ものごとを認識する仕組み」を科学的な研究テーマとして扱うことができるようになりました。私自身は,目から入ってきた情報がどのように認識されているかに興味を持って研究をしています。
― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
大 杉: 私は,主に人間の注意機能について,見えているはずのものが不注意により見落とされてしまうメカニズムについて調べています。大学生や一般の方に実験に参加してもらい,実験結果を基に認知機能を明らかにします。コンピューターの画面に画像を提示し,特定の画像があったかを答えてもらい,反応時間や正確さを測定します。マジックを見ているときのように注意が逸らされている状態で,「何が見えているのか?」を明らかにしようとしています。最終的には,注意状態に左右されない表示技術の提供につなげることで,利便性が高く操作エラーの少ないユーザーインターフェースの開発に役立てたいと考えています。他にも,錯視に関する研究,線画や写真の記憶に関する研究,魅力と動作(お辞儀,頷き,首振り)に関する研究などを行っています。また,食品や文具などの研究開発を行っている方々と実用的な共同研究を行った経験もあります。
― : この研究に興味を持ったきっかけは?またはこの研究の面白さとは?
大 杉: もともと認知心理学を知って大学に来たわけではありませんが,ひょんなことから認知心理学の世界にはまってしまいました。注意研究の代表的な理論として「特徴統合理論」というものがあるのですが,その理論を契機として活発な議論がおこなわれ,多くの論文が出版されました。論文を通して世界中の研究者が議論に参加しているのが魅力的で,注意研究に興味を持ちました。気がつけば10年以上もこの分野で研究をしています。
認知心理学の研究の面白さは,多くの人の行動に当てはまる規則性を発見することだと思います。認知心理学を学んでも,相手の心を読む技術(読心術)を身につけることはできません。しかし,行動データを数値化して分析すると,特定の条件下では大多数の人が同じパターンの行動を示すことが分かります。このように行動の規則性を発見して,人間について深く理解していくことがこの研究分野の面白さだと思います。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
大 杉: 大学での勉強や研究は,すればする程にのめり込んでいく本当に楽しいものです。ただし,何事も真剣に取り組む時にはエネルギーが要ります。大学では他にも楽しいことがたくさんありますが,勉強や研究にも取っておいてもらえるとうれしいです。認知心理学の研究は,実験や結果の分析をする少し理系に近い分野です。大学で勉強を始めてもまったく遅くありませんが,高校生のうちに数学(特に統計)の勉強やコンピューターに関する勉強を始めておくと役に立つと思います。
― : 先生の専門領域を教えてください。
柿 並: 「現代フランス哲学」を研究しています。ここには現代・フランス・哲学、という三つの要素が含まれていますので少し説明しましょう。
「哲学」は、私たちが世界の様々な物や出来事を見聞きしたり、考えたりする際に暗黙の裡に前提しているものを全て徹底的に疑う学問だと言えます。英語だとphilosophy、ギリシア語に遡ればsophia(知)を愛すること、という意味です。常識、思い込みに対する知的な反省がこの「愛知」の営みには息づいています。
だとすると哲学は古今東西を問わず通用するもののように聞こえます。ですが世界の様々な場所で、その地域や社会に特有の問題と取り組む哲学には「お国柄」と呼んでもよいものがあります。その中でも私が専門とするのは「フランス」です。「我思う、ゆえに我あり」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。私が存在していることをいかにして証明するか、フランスの生んだおそらく最も有名な哲学者デカルトは「一切のことを疑っても、疑っている私自身の存在自体は疑うことができない」という原理を第一歩として自らの哲学体系を確立していきました。
ところで「現代」はいつ始まったのでしょうか。高校で学習する「世界史」では1945年が一つの区切りとされているかと思いますが、哲学においてもこの年号を無視することはできません。ヨーロッパのみならず世界中を巻き込んだ戦争が終わった年ですが、それまでの「人間」の「理性」、合理的思考といったものの信用が決定的に失墜した時と言えます。また戦争は終わったとしても、強制収容所や植民地主義などの負の遺産はまだまだ清算されていません。「現代」の哲学はその経験を抜きにして考えることはできません。人間は正しく理性を使うことができるのか、いや、そもそも「理性」自体が万能の力など持っていたのだろうか? これが現代の哲学の根本的な問いの態度と言っても過言ではないでしょう。
― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
柿 並: オリンピックの試合をTVで観ることはあるでしょうか? なぜ全く知らない赤の他人なのに、「同じ」日本人だからという理由で応援できるのでしょう。あるいは海外に旅行した時、「同じ」日本人だからという理由で親近感を覚えることもあるかもしれません。普段は全く関係がない他人なのに、ある時に「同じ」人間の集団が時に熱狂的に形成されるのは何故か。そしてその集団に所属しようとしない人が何故白い目で見られたりするのか。
ある集団を維持するためにはその集団のアイデンティティ(同一性)をどこかで保証する必要があります。普段は意識されていなくても、他の集団とぶつかる時などにアイデンティティの問題は顕在化します。こうした問題を扱う学問はもちろん哲学に限定されません。近代以降は社会学が、例えば旧来の共同体と近代社会を対比させる形で扱ってきました。しかし近年、時に「共同体論」と呼ばれる分野が哲学においても重要な位置を占めてきました。特定の国家、社会といった集団の分析ではなく、集団一般の同一性(およびその排他性)を原理的に考察することに重きが置かれます。
そこで私が特に注目しているのはジャン=リュック・ナンシーという哲学者です。研究の対象としては稀なケースですが、まだ存命中の思想家です。これだけ多様化した現代社会において人々の間に共同性はありうるのか? 安易に「私たち」「仲間」といった集団に吸収されてしまうことのない「他者」の思想――現代哲学のキーワードであり、フランスでは例えばエマニュエル・レヴィナスという思想家が「他者の倫理」を唱えた――がかくも議論された後に、再度他者との「共同性」を考えることなどできるのだろうか? ナンシーを中心に様々な思想家の著作と格闘しながらそのような問いに取り組んでいます。
それと同時に、強固に存続(あるいは回帰)するナショナリズム等の脅威を前にした時にも、共同性は直面せざるをえない課題です。個別事例に限定されず原理を問う、と同時に、抽象的に見える議論が必ずその時代の問題意識に裏打ちされている。それが哲学の研究だろうと思います。
― : この研究に興味を持ったきっかけは何でしょうか?
柿 並: 高校に入った頃はいわゆる「文系」の学問にはまったく興味がなかったのですが、ある時、現代文の先生が授業中に余談で触れたデカルトのことが印象に残りました。また同じ頃、萩原朔太郎らの詩を入口にしてフランスの象徴主義にも興味を持ち、ボードレールなどを(もちろん翻訳ですが)乱読するようになりました。詩作品だけでなく詩論・批評などを読んでいるうちに少しずつ哲学もかじり出したのですが、3年生の時、選択科目として履修した倫理の先生との出会いはその後の私にとって決定的なものでした。フランス現代思想を代表する思想家、例えばジャック・デリダなどを教えてくれたのもその先生です。
哲学は対象によって規定されません。世界(自然、社会、国家)、主体(魂、精神、人間、この私)、科学技術(人工知能、サイボーグ)等々、芸術作品、ファッション、Rock……、何を研究してもよいのです。もちろん2000年以上に渡る先人たちの思索との対話も研究の柱であり、その意味では哲学は(哲学史研究といった形での)専門的な訓練を必要とします。その上で、研究や叙述の方法・スタイルは十人十色。思考の歴史と対峙しながら自由であること、そのような困難な営みがしかし哲学の魅力だろうと思います。
― : 最後に高校生に一言メッセージをお願いします。
柿 並: 自分の反省を込めて言えば、高校で学ぶ範囲の語学(英語)はマスターしておくこと。「受験英語は役に立たない」などということは決してありません。外国語で書かれた文献を読む基礎訓練ですし、一つの外国語ができるようになると語学修得のコツがつかめますから第二、第三外国語を学ぶ際のハードルが圧倒的に下がります。
大学は、どの時代・地域・分野を出自とするかを問わず、多様な知識と考え方が集まってくる場所です。昨今ではまるで呪文のように「グローバル化」という言葉が発されます。しかしグローバル化する現代社会において自分の位置を相対化しつつ、異文化と出遭うための感受性を維持し続けるためにも外国語の修得は重要な役割を担っています。
「いつまでたっても英語がうまく話せるようにならない」――そんな悩みを持つこともあるでしょう。しかしうまく話せる必要はないのかもしれません。ゆっくりでも正しく丁寧に話そうと努力すれば、耳を傾けてくれる人は少なくありません。私もフランス語を学び始めてから15年以上、会話で困ることは殆どなくなりましたが、まだまだ知らない表現はいくらでもあります。話していてもフランス語が勝手に喋っていると感じることがないわけでもありません。しかしそんないささかの違和感と同居しつづけること、それが異文化と暮らすことの一端なのかもしれません。
― : 先生の専攻は哲学と人間情報科学と2つの分野にまたがっていますが、どういうことでしょうか?
清 塚: 私の研究している言語哲学では記号論理学の知識が必須なのですが、論理学は人文科学系の分野とコンピュータの接点にあたります。論理学はもともと哲学の一分野でしたが、そこで重要視されてきたのは、記号の形やその変形に関わる規則でした。ですが、記号の形を認識したり、それを規則にしたがって変形することは、コンピュータの基本性能でもあるわけです。
― : 言語哲学とはどんなことを研究しているのでしょうか?
清 塚: 20世紀以前はデカルトなどの認識論が主流だったのですが、20世紀になってからは、言語の問題に哲学者の関心が集まるようになりました。20世紀の代表的な哲学者ヴィトゲンシュタインは「思考にではなく、思考の表現に限界を定めようとする。なぜなら、思考に限界を定めるためには、その限界の両側を(したがって、思考されえぬものを)思考できないからだ。」と『論理哲学論考』に書いています。つまり思考の限界を言語の限界が定めているのです。言語を考えることで人間の知的な能力の本性を明らかにしようとしたのが20世紀の言語哲学です。
― : 「楽しい」や「悲しい」という感情は言語によって表すことがなかなか難しいと思いますが。
清 塚: 感情をそのまま言語に表せなくても、「友人と遊んだから楽しい」など言語によって理由をつけることができますよね。いろんな動物が感情を持っていますが、言語によって感情を繊細に「分節化」できるのは人間だけです。
― : 先生はどうして言語哲学の道に進んだのでしょうか?
清 塚: 大学時代、言語哲学が流行っていました。そこで私も興味が出てきて言語哲学の道に進んだのです。しかし最近の言語哲学は限界が見えてきました。もっと包括的に心や認知の問題を考える心の哲学が流行してきました。しかし私は、もともと絵が好きだったこともあり、言語からそれ以外の記号系のほうに興味が移ってきました。言語にしても、フィクションの言語のような従来は変則事例のように見なされがちだった領域に興味があります。今後は絵画やフィクションについての哲学的分析をもう少し深めてみたいと思っています。
― : では高校生に一言お願いします。
清 塚: 高校時代は短いようですが、貴重な時間です。悔いのないように過ごしてください。
― : 先生は身近にある漢字を専門にしていらっしゃいますが、具体的にどんなことを研究なさっているのでしょうか?
中 澤: 私の研究分野は日本語学です。漢字も日本語の一部といえますが、主に歴史的な側面から漢字音など日本語の音韻を中心に研究しています。
― : しかしテープレコーダーもなかった時代の日本語の音韻をどうやって調べるのでしょうか?
中 澤: 現代の中国語は北京語が標準語ですが、広い中国には様々な方言が残っています。その方言や古い文献から昔の発音を推定します。そして『万葉集』や『古事記』、『日本書紀』などは全部漢字で書かれているので、漢字と発音をつき合わせて古代日本語の音韻を調べるのです。また江戸時代や明治、現代の漢字音についても調べています。
― : 先生は最近言われている言葉の乱れについてどう考えていますか?
中 澤: 昔から言葉の乱れはよくありました。鎌倉時代、兼好法師も『徒然草』で言葉の乱れについて嘆いています。しかし合理性があるから乱れが定着するのです。最近でも若者が使う「ら抜き言葉」がありますよね。例えば「見られる」という言葉はもともと可能、受身の意味として使われており、尊敬としては「ご覧になる」が使われていました。しかし最近では軽い尊敬の意味でもこの「見られる」が使われるようになったために、可能、受身と混同するようになってきましたね。そこでこの混同を避けるために、「読める」や「書ける」といった可能動詞の類推から「見れる」という「ら抜き言葉」が使われるようになったのです。言葉は必ず変化します。なぜ変化したのか、言葉の仕組みを考えて使ってほしいですね。
― : そこまで日本語の乱れについて考えたことがなかったので、これからは常に意識するようにしたいと思います。現在パソコンを使うようになって、言葉は何か変化したと思いますか?
中 澤: パソコン用語は「インストール」など様々な外来語が輸入されて、そのまま使われていますよね。しかし現代と同じように明治時代たくさんの外来語が輸入された時は、一つ一つ漢語すなわち日本語に翻訳されました。そこが現代と大きく違います。またパソコンでは簡単に難しい漢字に「変換」できるようになったため、難しい漢字が読み書きできなくても使えるようになりました。見ただけで意味がだいだい分かる「表意文字」は、現代では世界でも漢字だけです。パソコンを使うようになって漢字を忘れたと嘆いている人が多いようですが、たいていの漢字は「へん」と「つくり」に別れており、「へん」が意味、「つくり」が音を表すようにできています。常に漢字の「へん」と「つくり」に注目して考えると、忘れにくくなるでしょう。
― : 先生はなぜ漢字について研究するようになったのでしょうか?
中 澤: もともと私は日本文学が好きでした。ところが古典文学を勉強しているうちに、物語の内容よりも漢字や言葉そのものの面白さに目覚めていきました。そのなかでも特に漢字の音韻や古典文法に興味を持つようになりました。音韻・文法とも現代と異なるのが大変面白かったですね。
― : 高校生に一言お願いします。
中 澤: 正しい日本語を話せないと嘆くのではなく、まずなぜ日本語が乱れるのかを考えて、言葉の仕組みに興味を持ってほしいですね。そうすればすばらしい言葉の使い手になれます。
― : 先生のご専門である「人間工学 human interface」とはどんな学問ですか?
本 多: 「人間工学」とはこれまで技術ばかりが優先されてきて使う側の人間がないがしろにされてきた状況を、どうやって誰でも使いやすいものにするかを考える学問です。たとえば、コンピューターは初心者には扱うのがなかなか難しいですよね。初心者でも安全で、使いやすく、疲れにくい人間本位のものを作るのを目標とするのが「人間工学」という学問です。
― : ほかには具体的にどんなものがありますか?
本 多: 疲れにくいドクターグリップというペンはご存知ですか?あれも人間工学に基づいたペンなんですよ。あと、キッチンの作業台に床と引き出しの隙間にスペースがあいていますよね。人間はまっすぐ立つとどうしてもつま先が飛び出してしまいます。そのつま先が邪魔にならないためのスペースなんですよ。どうしたらミスをしないで治療できるかを考える医療関係者や心地よい服について考える被服学関係の方もいます。その中で私は誰にでも使いやすいコンピューターについて研究しています。
― : 工学や医学や心理学などさまざまな分野に関わっているんですね。「人間」と「工学」という2つの言葉は対立するものであるのにどうして「人間工学」という言葉ができたのだろうと疑問に思っていましたが、そういう意味での「人間工学」だったんですね。
本 多: これまでは「機械>人間」という考え方で技術ばかりが優先されていたのですが、「機械<人間」という考えで人間の生理、心理、形態を考えた上で使いやすいコンピューターとは何かを考えるのが私の研究です。つまり利用者の求めるものと設計者の作るものにはギャップがあります。それを埋めていこうというのが私の研究です。
― : 具体的にどんな風に研究しているんですか?
本 多: たとえばパソコンを使うことによってどれだけ人間に負担がかかるかを実験によってデータを取り、科学的理論で分析するのが研究のやり方です。その意味では理系に近い学問といえるかもしれません。
― : 先生はどうしてコンピューターについての人間工学を研究しようと思われたきっかけはなんですか?
本 多: 大学のとき入ったゼミが人間工学のゼミだったんですよ。初期のパソコンというのは使いにくく、専門家しか使えないものでした。それでなんとかして誰にでも使いやすいパソコンを作りたいと思ったのです。
― : 最後に高校生に向けて一言お願いします。
本 多: 現代の技術は進化し続けています。その結果、携帯電話やパソコンなど誰でも使えるようになった一方で、出会い系サイトや振込み詐欺などさまざまな場面で悪用されるようになってきました。技術をよく考えて有効に使ってほしいですね。
― : 先生は現代日本文学・文化について研究していらっしゃいますが、具体的にどのようなことについて研究なさっているのでしょうか?
森 岡: 私の研究対象は主に1900年以降の小説と批評です。谷崎潤一郎を中心にしていますが、最近では児童文学者の北川千代や、松浦理英子なども研究しています。
― : 具体的にどのようなことを研究されてきたのでしょうか?
森 岡: 一人の作家にこだわらず、様々な作品の中で、他者がどのように描かれてきたかをテーマにしています。例えば、谷崎も絶賛した近松秋江の「別れたる妻に送る手紙」というのは別れた妻に出す手紙形式の小説なのですが、別れた妻への未練を書いていくうちに、彼女のイメージ、それに対する自分自身のスタンスも変化してくるあたりが読みどころです。現実でも、最初から最後までイメージが固定している人は珍しいですよね。付き合っていくうちにそれは変わっていきますし、本当のところは結局わかりません。けれど、そうだからこそ、関係に豊かさが生まれるとも言えます。
また、最近では座談会という形式にも注目しています。一人で書く評論と違って座談会には直接のメッセージの他にも身体の表象など雑多な要素が伴います。笑ったり怒ったりという出席者の姿が伝わり、新たなイメージが作り上げられて行きます。面白いことに外国ではこの座談会の形式があまりポピュラーではありません。日本では小説雑誌に必ず一本は掲載されていますよね。ある外国人研究者が、座談会は本音をごまかす日本人特有の形式だと言っているのを知って、それは違うと思い研究を始めました。
言葉による表現とは、必ずしもメッセージだけを伝えるものではなく、バイアスをかけたり、他の文脈も呼び寄せたりしてしまうようなものだと思います。
― : 言葉はあるメッセージを伝えるために存在しているのに、バイアスや他の文脈を呼び出してしまうのは矛盾ではありませんか?
森 岡: そうですね。確かに現実社会の中でも言葉があらゆる誤解を生み出していきますが、だからこそ言葉による表現は面白いと言えるのではないでしょうか?
― : 先生はどうして日本文学を研究するようになったのでしょうか?
森 岡: 大学に入ったときは、なにを勉強したいか決めていませんでした。大学1年のころある文芸批評を読み、文学のいろんな見方を学びました。それがきっかけで単に趣味で読んでいた文学を研究の対象として考えてみようと思いました。
― : 高校生におすすめの本は何かありますでしょうか?
森 岡: それは人によってそれぞれです。読みたい本がない人はまだ自分が読むべき本に出会っていないだけです。求めていれば読むべき本は必ず見つかります。本との出会いを大切にしてください。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
森 岡: 現代の風潮では分からないこと、分かりにくいことが悪いことみたいですが、むしろ分からないということを楽しんで欲しいですね。私も研究をするようになって十年以上経ちますが、まだまだ分からないことだらけです。その状況を楽しんで下さい。分かりきったことばかりだと、つまらないですよ。
― : 先生のご研究している日本語学とは主にどんな学問なのでしょうか?
渡 辺: 日本語学は、文字通りに日本語を研究する学問ですが、さまざまなアプローチの仕方があります。その中でも、私が主に研究しているのは、「談話分析」や「語用論」という分野です。それは、言葉がどのように使われているか、日本語話者は日本語をどのように使って他の人とコミュニケーションしているかについて研究する分野です。
― : たとえばどんなことでしょうか?
渡 辺: 私たちは、伝えようとする内容について相手がどんな前提知識を持っているかによって説明の仕方が変わりますよね。また、相手が自分とどのような関係にあるのかでも言葉の選択をします。そこにいったいどういう要因があるのか、日本人特有の言葉の運用方法のメカニズムについて研究をしています。
― : 日本人特有の言葉の運用方法とは具体的にどういうことでしょうか?
渡 辺: 日本人は人を何かに勧誘するとき、相手に配慮して「忙しいかもしれませんが、○○はどうですか?」といった言い方をしますが、英語圏の人を同じように「忙しいかもしれませんが、○○はどうですか?」といって誘うと、本気で誘っていないのではないかと思われてしまい、配慮したことが逆効果になることもあります。
― : それは難しいけれど面白い問題ですね。
渡 辺: このように、日本語と他の言語を比較する対照研究も行っています。
― : 言葉のデータはどうやって集めるのですか?
渡 辺: やはり実際に使われている言葉が重要なのでテープレコーダーで人の会話を録音したりビデオで撮ったりしますし、テレビドラマなどのシナリオや小説から集めることもあります。研究の対象が身近なところにあるということが日本語学の特徴です。
― : 先生はどうして日本語学を選んだのでしょうか?
渡 辺: もともとは外国語に興味があったのですが、外国語は日本人では細かいところの直感が働かない部分があると思い、徹底的にやろうと思ったら直感がある母語の日本語がやりやすいと思い、改めて日本語の研究の道に進んだのです。
― : 最後に高校生に向けて一言お願いします。
渡 辺: 日本語学は、研究対象が身近にあり、いろいろなアプローチができます。とてもおもしろい学問ですから、ぜひ人文学部に入って日本語学を勉強し、日本語を極めることをお勧めします。
― : 先生のご専門は中国政治ですが、どういったことを研究していらっしゃるのでしょうか?
赤 倉: 現在、主に研究していることは1950年代の中国政治です。当時、中国政府は自分たちにとって都合の悪い人たちをたくさん粛清したわけですが、どのような組織がどんな手順で粛清したかを研究しています。
― : 粛清とは具体的にどんなことでしょうか?
赤 倉: たとえば、中国政府にとって都合の悪い発言をした人に対して、給料を減らしたり強制労働をさせたり投獄したりすることです。このようにして恐怖で国民を支配するわけです。粛清は独裁政治の重要な手段でした。もちろん今ではこうしたタイプの粛清は行われていませんが、政府にとって都合の悪い発言や人物への対応には共通するものがあります。この他に、中国の民主化についても研究しています。現在、中国政府は少しずつ民主化を取り入れており、例えば一部の村長を選挙で選ぶなどの試みをしています。
― : 去年オリンピックが北京で開催されましたが、北京オリンピックについてはどのように思われますか?
赤 倉: 北京オリンピックは中国が大国であることをアピールしたいという中国政府の願いが現れていました。愛国心が高まったり公共事業が活発化するなどいい面もたくさんありましたが、反面、人権問題や環境問題など悪い面も表面化しました。
― : 先生はなぜ中国政治について研究するようになったのでしょうか?
赤 倉: 子供の頃の十年間を中国で過ごしました。幼かった私は毛沢東が死んだことを悲しむデモや政府が「悪い人」だと決めた人に反対するデモなど、わけも分からずに参加していました。日本に帰国し、大学に入り、中国政府が人びとをどうやって動かしていたのか疑問に思うようになって来ました。その疑問を解き明かしたいと思ったのがきっかけです。
― : では最後に高校生に一言お願いします。
赤 倉: 自分に自信を持って生きてください。中国で育ったことや大学時代にたくさんの留学生と知り合った経験から、日本人は自分の意見を表現したり主張することが苦手な印象を受けます。日本の文化や国民性によるものなのかもしれませんが、色々な意見に耳を傾け、大いに自己主張し、人との語らいを楽しんで下さい。
― : 先生が研究されている言語学というのはどんな学問ですか?
池 田: 人間は言語学とは言葉の仕組み(規則)を解明し、なぜそのような仕組みになっているのかを説明しようとする学問です。言語学は大きくわけて、ある時代の言語だけを取り上げて研究する「共時言語学」と言語がどのように変化したかを研究する「通時言語学」という2つの種類があり、私が研究しているのは主に「通時言語学」で、八世紀から十一世紀頃までの中世時代のドイツ語を対象に主として「語順」の変化を研究しています。
― : 日本語では、歴史をさかのぼっても語順は変化していないようですが。
池 田: その通りです。日本最古の『古事記』を見ても昔からSOVの語順は変化していません。しかしヨーロッパの言語には最初に副詞などがあっても必ず動詞が文の2番目にくるドイツ語などや、動詞が最初に来るアイルランド語などがあります。これらの言語はもともとインド・ヨーロッパ祖語と呼ばれる一つの言語から派生したのですよ。それなのにどうして語順が変化したのか、それが大きな疑問です。
― : 現代のヨーロッパの諸言語は、ある祖先の言語から分かれてできたのですね。
方言が分化するのと似ていますね。
池 田: そのようなイメージです。同じ言語をしゃべる部族が何らかの理由で分かれた後、言語もそれぞれ別個に少しずつ変化していった結果が現代の諸言語であると考えられています。
― : 変化をたどる資料はたくさん残っているのですか?
池 田: 昔は録音機械もありませんから話し言葉は消え、書き言葉のみが残ります。そのためさかのぼるには限界があります。少ない資料から証拠となるものを集め、説を組み立てていくのが通時言語学のおもしろさです。
― : 先生はなぜ言語学、特に通時言語学を選んだのでしょうか?
池 田: 大学で第2外国語としてドイツ語を学習し、不規則な変化をする動詞を楽をして暗記しようとして教科書巻末の動詞の一覧表を分類してみると、7つくらいのパターンに分類できることに気がつきました。後で詳しく調べてみると、自分の分類が正しかったことがわかり、嬉しかったです。また中学、高校と丸暗記していた英語の不規則動詞も同じような分類ができ、その原因がドイツ語と英語が同一の祖先をもつ言語から分化した言語ということを知り、言語の歴史(変化)に興味を持ちました。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
池 田: 言語に限らずある現象に接したときに常に「なぜそうなっているか?」ということを考えてみる態度を身につけることが大切です。山形大学人文学部は先生と学生が親密ですぐに疑問について話し合えます。しかしその前に自分なりに考えて得た結論を持っていきましょう。きっと自分で考えないで先生と話したときよりももっと深く話し合えると思います。
― : 先生の専門分野は比較文化と文化交流史ですが、全てに文化がついています。そもそも文化とはなんでしょうか?
伊 藤: 日本で文化という言葉が一般化したのは主に大正期のことですが、英米圏でもcultureという言葉が普通に使われるようになったのはそれほど古くなく、せいぜい百五十年前くらい前のことです。もともとcultureの意味は「耕す」であり、「土を耕す」代わりに「心を耕す」ことで精神の洗練が生み出され、これが今日的な意味での「文化」へとつながっていきます。比較文化の定義は大変広いのですが、私はその中でもアメリカ文化史や日米文化交流史を中心として研究しています。
― : 「文化」という言葉が「耕す」という言葉から来ているとは知りませんでした。アメリカ文化史や文化交流史とはどういう研究なのでしょうか?
伊 藤: 主に十九世紀のアメリカのオリエンタリズムについて研究をしています。おおまかな話をすると、ヨーロッパにとってのオリエントとはイスラムのことですが、十九世紀後半期アメリカのオリエントといえば、特に極東アジアや日本を指します。交通テクノロジーの発達により太平洋航路がひらかれ、また日本が開国すると、様々な人たちが日米を行き来し文化の次元で交わった結果、オリエントをめぐる様々な言説が形成されていきました。例えば、もともと日本にキリスト教を広めるためにやって来た宣教師が、異教であるはずの仏教の長所に着目し擁護するといった、奇妙な現象も出てきます。さすがに宣教師の中で改宗した人はいなかったでしょうが、一方で来日した西洋人の中には仏教に深い関心を寄せ、キリスト教徒であることと並行して、仏教徒となった者もいます。もちろんキリスト教は一神教なので、二つの宗教を同時に持つことは辻褄が合わないのですが、彼らは日本で生活するうちに柔軟な態度をとるようになり、結果として信仰を含めた生き方の総体が変わってしまったといえるでしょう。
また最近では、アメリカ社会の移民をめぐる言論にも大変興味を持っています。移民を受け入れることに反対な反移民主義の側と、基本的に賛成している多文化主義の側との対立が、研究の焦点です。移民をアメリカ社会の組成へと取り込み、「アメリカ人」と化していくことの是非をめぐって、反移民主義陣営の論客たちが展開している同化肯定論を、特に考察の対象としています。
― : 先生はなぜ比較文化を研究しているのでしょうか?
伊 藤: あまり明確な理由はないのです。大学院の博士課程3年のとき、日本で職が見つかるあてもなかったので、アメリカに留学することにしました。それまでは近代日本政治思想史を研究していたのですが、どうせアメリカで勉強するならアメリカの歴史を、それも思想史にある程度近そうな文化史を研究することにしました。6年半アメリカで勉強した後、山大に就職して比較文化の授業を担当し、二年目からは文化交流史も講じ始めて、今に至っています。まぁ、そういうことです。
― : 高校生に一言お願いします
伊 藤: 大学で何を研究するにせよ、まずは体力です。記憶力、体力が充実しているうちに語学を学ぶことをお勧めします。今は受験勉強で大抵の人たちが英語を勉強していると思いますが、興味があったらほかの語学も学んでみてください。
― : 先生の専門領域を教えてください
今 村: 専門の地域は東南アジアです。特に、東南アジアの少数民族について調べています。東南アジアには、数え切れないほどの少数民族がいます。これらの多くは山地民——つまり山の中に住んでいる人々——です。山地民の人々が暮らしてきた地域というのは往々にして国家の辺境に位置しています。したがって私の研究対象は「東南アジアの辺境」です。
実のところ、東南アジア自体が辺境的な存在です。東南アジアは、中国やヨーロッパのように外部に大きな影響を与えた地域ではありません。というわけで、「東南アジアの少数民族、なんでそんなマイナーなことを専門にしているんだ」という視線を感じることがあります(笑)。
しかし、周縁から見ることによって、ものごとの本質がよくわかるということがあります。少数民族の視点から見ることに国民国家の本質がより明らかになるとか、辺境から見ることによって文明論や世界史がどのような論理によって組み立てられているかよりはっきりとするといったことがあります。辺境の研究とは、つまるところ辺境と中央との関係の研究です。
― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
今 村: 具体的には、ミャンマー北部の「カチン」と呼ばれる少数民族の歴史的研究を進めています。カチンの人々はそのほとんどがミャンマー北部に住んでいますが、隣接している中国雲南省やインド北東部にもいます。つまり国境をまたがる地域に暮らしている民族なのですが、ミャンマー、中国、インドという三つの近代国家に分断されてしまった民族、といった方が正しいかもしれません。
長いあいだ狩猟採集生活を営んできたカチンの人々は、およそ百年前まで文字を使うこともありませんでした。「カチン史」の文献や資料は極めて限られています。現在でも、彼らには大学も図書館もありません。それではカチンの人々は自らの歴史をどう語っているのでしょうか。そもそもカチンの人々にとって歴史とはどのような意味を持っているのでしょうか。国家を持たない人々は歴史をどのように語り、どのように使うのでしょう。これらの問いを通して、歴史の書き方や語り方を考え直す研究を進めています。
― : この研究に興味を持ったきっかけはなんですか?
今 村: 私はアメリカ東部の大学を卒業したのですが、ニューメキシコ州のサンタ・フェというところで大学付属図書館の司書としてしばらく働いていました。ニューメキシコ州は、アメリカ先住民(いわゆるインディアン)の割合も、またスペイン語話者の割合も全米で最も高い州です。ニューメキシコは、アメリカ合衆国の中で極めて周縁的な存在なのです。そんなところで暮らしていると、教科書に書かれているような「アメリカ合衆国の歴史」では説明できないことがたくさんあることにいやがうえにも気がつくようになりました。「辺境の視点」に気がついたのはその頃です。
2001年9月の同時多発テロ事件の後に、アメリカ合衆国からタイ北部のチェンマイというところに移りました。そこで人権団体に勤めることになったのですが、多くのミャンマー出身の移民、難民、亡命者に会い、生い立ちを聞くことができました。特に、自分たちの国を持たない少数民族の人々の話にはとても驚かされました。
私はそれまで「国家に属すること」を当然のことを思っていたので、「自分たちの国家がない」というのがどういう境遇なのかしっかりと考えたことはなかったわけです。多くの移民、亡命活動家、難民の話を聞くことが、国家とは何なのか、国境線とは何なのか、といった問いを考え直すきっかけとなりました。
― : 先生は、留学など海外経験が長いと聞きました。留学経験について教えてください。
今 村:留学について話し出すとキリがありません。というのも、私は生まれも育ちも日本ですが、中学卒業後の教育は全て海外で受けたからです。さらに、博士号を取る前に海外で10年ほど働いていたので、どこからどこまでが留学なのかよくわからないのです。
大学はオーバリン・カレッジという、アメリカはオハイオ州のリベラル•アーツ大学に行きました。オーバリンという町にあるのですが、山形市よりもはるかに小さく、レストランも数軒しかありませんでした。着いたときはその小ささにショックを受けたものです。空港からのバスを降りて、「こんな何もないところに4年間も住めるものか」と不安になったことを今でもよく覚えています。
小さな静かな町でしたが、学期中のキャンパスは学生による様々な活動で常に賑やかでした。音楽が強い大学なので、文字どおり毎日コンサートがありました。ほとんど全てが学生によるものなので無料。また、キャンパスではほぼ毎夜、映画が上映されていました。日本映画で最も上映されていたのは、大島渚だったと思います。私の中ではこのリベラル・アーツというアメリカでの大学生活を思い出して一番懐かしくなるのは充実した図書館と、そして何よりも音楽です。
といってもアメリカの大学ではひたすら勉強させられました。授業は少人数制で討論が中心なので、課題図書を読んでこないとすぐバレてしまいます。日中は、図書館と教室を往復。夕方に気分転換にふらっとコンサートか映画に寄って、そして暗くなってから寮に戻ってはシャワーを浴びて寝る、という生活でした。
大学卒業後、他のリベラル・アーツ大学院に進学して修士を取得しました。そして、ニュー・メキシコ州の大学図書館で司書として働きました。つまり、アメリカのリベラル・アーツ大学で私は10年近く暮らしたわけです。大学教育とはどうあるべきか、という問いを私なりに考えるにあたってこの10年間の経験は、決定的な影響を与えました。
― :東南アジアを研究するようになったのは、その後のことだったのでしょうか。
今 村:そうです。東南アジアを初めて訪れた時にすでに30歳近くになっていました。日本の東南アジア研究者には大学生時代から東南アジアを訪れているという人が多いので、とても羨ましいです。
大学を卒業後、司書として働きながら人権団体のボランティアをしていたときに、東南アジアの人権団体が職員を探している、という話があり、飛びつきました。北タイのチェンマイという町に住むことになったのですが、その当時はミャンマーからタイに亡命中の活動家やジャーナリストも多く、彼らから様々な話を聞きました。
私が特に多くの時間を共に過ごしてたのは主にミャンマーの少数民族の人たちです。ミャンマーでは、第二次世界大戦終了直後、つまり独立直後から内戦が続いています。私が勤めていた団体は、ミャンマーの少数民族の人々に対する人権侵害を記録したので、私もタイ・ミャンマー国境地域で難民から聞き取り調査を行なっていました。
タイ・ミャンマー国境地域というのは歴史的に少数民族が暮らしてきたところですが、近代になってから両政府から圧迫されるようになりました。難民も少数民族の人が圧倒的に多く、「国家に属さない」人々から様々な話を聞きました。
また、この難民の人々が皆、複数の言語を操ることに感嘆しました。誰でも少なくとも自分たち少数民族の言語とそれからミャンマー語の二つの言語を話せます。少数民族の言語を複数話せる、という人も少なくありません、多言語環境にあっては複数の言語を話すことが普通なのです。
やがて私は、大型ダムの建設に関わる人権問題と環境問題に深く関わっていくようになります。この時期ちょうど超大型ダム建設プロジェクトがミャンマー北部なので進み始めたからです。ここでもまた、被害を被るのは建設地付近の少数民族の人々、という構造でした。こういった迫害に対しては、世界各地で反対運動が起こっていたので、それらの運動と連帯するために国際ネットワークづくりに奔走しました。東南アジアでのネットワーク作りも活発だったので、この当時私はアジアの多くの国を訪れて、環境や人権運動に携わる人々から話を聞きました。様々な国で、現地の人々から直接話を聴き、啓発されました。特に中国雲南省の環境団体は、とても創造的かつ効果的な運動を展開していて、感銘を受けました。 その後、中国雲南省の怒江(サルゥイン河)と、そしてミャンマー北部カチン州と二ヶ所で、二つの大型ダム建設プロジェクトが中断に追い込まれます。アジアでは、国家主導の大型インフラ・プロジェクトを止めることは難しいという状況が続いていたので、この二つの事件は現代アジア史においても非常に意義深いイベントであったと認識しています。
― :大学院に進学することにしたきっかけはなんですか? 大学院での経験について教えてください。
今 村:少数民族の排除という問題についてもっと根本的に考えなければいけないと思い、大学院で勉強し直すことを決心しました。東南アジアを離れたくなかったので、シンガポール国立大学の博士課程に入院することになりました。2008年のことです。
ミャンマーで現地調査を行うことを希望していたので、調査地としてすでに20年近く休戦状態にあった北部カチン州を選び、この地域について読めるものを可能な限り読みました。しかし、いざカチン州に移ろうと準備していた2011年に内戦が再発してしまいます。長期現地調査を諦めて、その代わりに短期訪問を繰り返すことになります。できるだけ多くの場所を訪れ、また史料調査を積極的に組み入れることにしました。
普通こういったフィールドワーク調査では、人々の日々の暮らしを理解していくことを目的に一ヶ所に長期滞在し、現地の言語を習得していくのですが、私の場合は短期滞在の繰り返しになったので、現地の言葉を学ぶことができず通訳に頼ることになりました。また、ホテルにしか泊まったことがないので、村に住み込んだという経験もなく、日々の暮らしについても未だにわからないことばかりです。代わりに、私はミャンマー国内外の多くのカチン人コミュニティで聞き取り調査しました。ミャンマーの隣国の中国とタイはもちろん、シンガポール、クアラルンプール、東京でも調査しました。
様々な調査方法を組み合わせることを強いられたので、方法的な発見がいろいろありましたが、データをまとめて、論文を書き上げるには時間がかかりました。シンガポール国立大学からの奨学金は5年が限度だったのですが、運よくハーバード大学から奨学金を受けることができました。最終的に東南アジアに10年間住み、2014年に北米に戻ることになります。ハーバードは、2年間研究員(フェロー)として滞在中に博士論文をようやく書き終えました。ハーバードは、図書館がとてつもなく素晴らしかったです。またここでもキャンパスに絶えず音楽や演劇があったことが嬉しかったです。
2014年に京都大学東南アジア研究所に移ります。この時点で、20年以上に及んだ私の留学(?)がようやく終わったわけです!しかし、家族と電話で話す以外はほぼ全く日本語を話さない、という暮らしが20年以上続けた私にとって日本は「母国」でありながらも「異国」にもなっており、北米に戻る的より、日本に帰国する時の方が正直、緊張しました。とりあえず日本に「留学」してみよう、うまくいかなかったら東南アジアか米国に「戻ろう」(笑)という気持ちだった、というのが正直なところです。
― :日本に戻ってきて、研究者として感じたことはありますか。
今 村:日本がベースになって以来、私自身のアジア理解がこれまでより多角的にそして重層的になりました。例えば、東南アジアのベトナムという国を考えるにあたって朝鮮の歴史と比較するという視点は、日本の研究者であればごく当然のことですが、アメリカの大学院でこういった視点はあまり論じられません。欧米をベースにアジアを研究していると、一カ国や一地域を対象とするのに精一杯ですが、アジアをベースにしているとアジア内での繋がりに目が届くようになります。
といっても、アジアの各国で教えられている歴史や地域研究は、国を単位としたものが圧倒的です。国という単位を前提としては、過去も現在もまともに理解できません。アジアという空間をもっと重層的に理解していくには、様々な地理的枠組みを組み合わせて考える必要があります。そのためには多国籍チームによる研究活動をもっと恒常的に進めていくことが最も効果的でしょう。アジアの人はお互いのことをよく知っていませんから、アジア人研究者が出会い、話し合う場がもっと必要です。アメリカやヨーロッパは遠いですから、日本がこういう場づくりをどんどんしてほしいと思っています。
― :海外での調査というのはどのように進めるものなのでしょうか?
今 村:東南アジア研究者のみならず、アジア研究者であれば、まず日本語以外のアジアの言葉を一つ習得し、その言語が話されている地域に精通することが求められるでしょう。この点私は失格者です。ビルマ語もタイ語も習ったことはあるのですがしっかりと身についていません。カチン語も片言程度しか話せません。現地語をしっかりと解せないというのは決定的な痛手です。現地の新聞を読むとか、通訳なしで聞き取りするといったことをできないので、現地の人との頼んだ上での共同作業になります。というわけで、私にとっては現地の人との連携は欠かせません。
こういった現地調査をできるだけ共同調査という形で進めることを心掛けています。単にお金を払ってアシスタントを雇用するというのではなく、調査について現地のパートナーと議論を繰り返し、お互いにその意味と意義を確認した上で、共同で調査するというアプローチです。時間はかかりますが、こういったやりとりから、純粋に関心を持っている人々に会うことができます。長期的に最も大切なのは、こういう人との出会いです。
また、できるだけ多様な言語環境で調査するように地域を訪れるようにしています。ミャンマーという一つの国だけで100以上の言語が話されています。私が定期的に訪れるカチン地域だけでも多くの言葉が話されていて、これら全ての言語を操れる人はいません。ミャンマー語を習得すれば確かに多くの人と話すことができるのですが、それでも全ての人と会話できるわけではないのです。また、隣接する中国やインドでも国境地域には、同じ言語を使う少数民族の人々が暮らしているのですが、それらの地域ではミャンマー語は解されません。このような、言語多様性が極めて高い地域、特に国境地域で調査を行うには、現地の人々との関係が最も重要となります。
最近、私はインドを訪れるようになりましたが、ここでも調査先は北東部という辺境地域です。インドといえど、私がこれまで定期的に訪れてきたのはミャンマー北部、さらに中国南西部とも地続きの地域です。中国研究、インド研究、ミャンマー研究と分割してしまうとこの地続きの地域にどのような人々が暮らしているのか、国境を越えるどのような繋がりがあるのかみえてきません。国境というフィルターをあえて取り除いてみた上で、アジアを考え直すことが必要でしょう。
― :国境地帯のいうのはイメージしにくいのですが、どういう空間なのでしょうか。
今 村:これまで繰り返し感じたことは、国境というのは実際に自分の足で訪れて見ないと本当にわからない、ということです。地続きの国境の場合、国境線という線が目に見えるように引かれている所というのは実は少なく、たいていの場所では「この辺り」という漠然としてものです。現地の村人が意識せずに毎日繰り返し越境しているなんてところもあります。そういった光景を目にすると、国境なんてものが存在するのは地図の上だけか思わされます。と同時に、長い歴史を持つ国境というのも確かにありますし、また新しい国境線であるにもかかわらず極めて影響力を持つものもあります。国境にはとてつもない多様性があるのです。この辺のことを現地の役人はよく知っていて、現場の事情に合わせて柔軟に対応しています。しかし、こういった「柔軟な対応」には非合法的な要素が多くあるので、公に書くことが容易ではありません。人文の研究者も、こういった「非合法」的行為の記述や分析というのをもっと柔軟に考えなければいけないと感じています。国境というのは、下手すると外交問題などにも発展してしまいますが、国境に関する理解があまりにも一面的なことが、領土問題がなかなか解決されないことの一因かもしれません。研究者としては、多国籍研究チームなどを作るとともに、多様な国境のあり方を示す必要があるでしょう。
もっともこういった記述や表現に関しては、研究者よりも一部の映像作家などの方が先をいっているかもしれません。研究者は、これまでほぼ全面的に論文という表現形態に頼ってきたわけですが、これからもそういう時代がずっと続くとは思えません。映像を積極的に取り入れたり、対話や物語で記述するなど、様々な方法が試みられるべきだと思います。
この点、山形国際ドキュメンタリー映画祭は我々研究者にとって宝の山です。山形映画祭ライブラリーには8000を超える映像作品が保管されているわけですが、この世界にも稀な資料を日々のレベルでアクセスできるのは山形をベースとする研究者の大きな特権です。
― :山形大学の学生に伝いたいことはありますか?
今 村:早いうちに国外に出て直接異文化に触れてみよう、そしてできるだけ長く滞在して国外に友達を作ろう、と学生に促しています。欧米に行きたいと学生が多く、その気持ちはわかります。私もイギリスとアメリカに住んだことがあり、現在も定期的に訪れています。しかし、近年アジア東アジアと東南アジアの国々には極めて安く行けるようになり、どう考えてもアジアの方が断然オトクです。 韓国、台湾、香港、ハノイなどへの便は国内便の値段と変わりません。日本を訪れるアジア人も劇的に増えています。アジアの国々であれば、お互いを訪れることが比較的容易です。
国際情勢がどう変わろうとアジアの国々との付き合いは終わらないでしょう。しかし、アジア人はお互いのことを知らなすぎます。ヨーロッパを訪れると、これがヨーロッパとアジアの大きな違いだと痛感します。アジア人はお互いのことをもっと知るべきではないでしょうか。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
今 村: 高校生の皆さんには、大きな問いに果敢にチャレンジして欲しいと思っています。よく言われることですが、人文学や社会科学には「常に正しい答え」などありません。時代、社会ごとに「新しい答え」が必要とされます。実は、「問い」自体が、時代、社会ごとに変わります。若い皆さんが、「常識」を疑って、新しい答えを、そして新しい問いを提示してくれることに期待します。
― : 先生の専門領域を教えてください。
宇 津: アメリカ文学を研究しています。文学作品というのは文化の産物でもあり、また逆に文化を作り出す媒体でもあると考えています。歴史や時代の変化の中に文学作品を位置づけて、その時流の中で、ある文学作品がどういった意味を持ちうるのか、どういった働きをしたのかを考えています。
― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
宇 津: 具体的には、現在は19世紀末の女性作家ケイト・ショパンを研究しています。1899年に書いた『目覚め』という作品が有名ですが、この作品は上位中産階級の妻に家庭を捨てさせる物語なので、当時は激しくバッシングされました。ショパンには病気もあり、6年後には死んでしまって、その後半世紀ほどは世間から忘れられた作家になっていました。
このような経緯から、「世間から排除された孤高の作家」というようなイメージがついてしまっていますが、それを時代の中に戻して考えようとしているのが私の研究です。
― : この研究に興味を持ったきっかけは何でしょうか?
宇 津: きっかけはアメリカ人研究者Bucherが書いた1本の論文でした。19世紀末は1920年の女性参政権の達成に向けて確かに女性運動も盛んだったのですが、これまでのショパン研究はここにばかり目を向けていたような気がします。Bucherはここにレズビアンという視点を導入しました。確かに、19世紀末は性科学という学問がアメリカに入っていって、同性愛というものに人々の目を向けていった時代でもあります。そういった流れに対しショパンはどう反応したのかということは、考えてみる価値のあることだと思います。
また、彼女は南北戦争後の南部作家でもあるので、黒人を描いた作品も多いのですが、差別的南部と解放的北部といった典型的な枠組から離れることで、この点についても新しく見えてくるものがあるのではないかと思っています。
― : 最後に高校生に一言メッセージをお願いします。
宇 津: 今になって驚くことが多いのですが、高校生、大学生の頃の感性というのは本当に鋭いと思います。小説を読むということひとつとっても、中年を迎えた今では、いつまでも忘れられない大きな感動を得るということは珍しくなってしまいました。他方、学生の頃に読んだ本というのは、いつまでもその感動が続くし、ある場面や言葉が何度も記憶の底から蘇ってくることもあります。年齢によってこんなにも読みの引き起こすものが違うのかと実感するとともに、若い頃にもっともっとたくさん読んでおくべきだったと後悔しています。
学生のみなさんには、本に限らず、映画でもスポーツでも何でも良いのですが、自分の感性に積極的に栄養を与えるということを意識してもらいたいと思います。
― : 先生の専門領域を教えてください
合 田:フランスの大学に提出した博士論文では、劇作家として有名なアルフレッド・ジャリ(1873-1907)の作品を、世紀末のパリの言論空間に位置づけながら論じました。ジャリは『ユビュ王』(1896)などの戯曲だけでなく、詩作品や『超男性』(1902)等の小説、評論文も書いており、未完に終わったものまで含めると、かなりの数の作品を残しています。博士論文ではそれらをなるべく網羅的に扱いました。
博士号取得後は少し裾野を広げて、19世紀後半のフランスの定期刊行物にかんする研究を始めました。フランスでは1880年から第一次大戦の始まる1914年までに、300誌以上の雑誌や新聞が創刊されたと言われます。私がとりわけ重視するのは、『メルキュール・ド・フランス』、『白色評論』、『プリューム』、『エルミタージュ』の四誌です。いずれも世紀転換期に成功を収めた短命の文芸誌ですが、当時の文壇で非常に重要な役割を担っていました。
― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
合 田:そもそも私は、単行本のみを扱う従来の文学研究に違和感を持っていました。というのも単行本からは、作家の交友関係や日々のやりとり、あるいは論争など、文学のリアルな側面が見えてこないからです。反対に定期刊行物からは、そうした作家間のネットワーク以外にも、芸術家と大衆、作家とジャーナリズム、言論とメディアの関係など、19世紀末の社会を従来とは異なる仕方で読み解くための視点が豊富に発掘できます。
幸いなことに19世紀末の定期刊行物の多くは、フランス国立図書館の関連サイトからダウンロードすることができます。あとはそれをひたすら読んでいくわけです(笑)。とはいえ上記の四誌だけでも膨大なページ数になるので、まずは目次を見て面白そうな記事から読み進めています。現在は各文芸誌のグループ活動に関心があり、その切り口から調査し、論文を少しずつ公表しているところです。
― : この研究に興味を持ったきっかけは?またはこの研究の面白さとは?
合 田:フランスには5年と少しのあいだ留学していたのですが、現在の私の研究スタイルはフランス人の指導教官から引き継いだものです。パリで長く学ぶ機会がなければ、定期刊行物の重要性に気づくこともなかったと思います。日本では特定の関心を共有できる機会が少なかったのですが、留学先のパリには世界中から研究者が集まってきており、大学院のセミナーや研究会ではさまざまなことを教わりました。また国立図書館等で貴重な資料を直に手に取って調べることができたのも大きかったと思います。
昔から人があまり関心を払わない手付かずのことに熱中するタイプで、研究についても同じことが言えます。この作家の文章は何を言っているか分からない(ジャリの場合)。膨大な記事をすべて読むなんて大変だ(文芸誌の場合)。みなそのように言います。しかし私は、人がやっていないものを発見できたら、やり方次第でそれは自分のチャンスにつながると思います。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
合 田:多くの人が読むものと別のものを読めば、それだけ特別な存在に近づけます。あなたはきっと『星の王子さま』が好きでしょう。もちろんそれはそれでけっこうです。けれどもそれが、フランス文学の一断片に過ぎないことを知らないとしたら、非常に残念なことです。すでに魅力的なフランス文学入門がたくさん書かれているので、みなさんを導いてくれるはずです。とりわけ以下のものに目を通してみてはいかがでしょうか。野崎歓『五感で味わうフランス文学』(白水社)、堀江敏幸『郊外へ』(白水Uブックス)、塚本昌則『フランス文学講義』(中公新書)、小倉孝誠『恋するフランス文学』(慶應義塾大学出版会)、石井洋二郎『フランス的思考』(中公新書)。
― : 先生のご専門は英語学だそうですが、具体的にどんなことを研究しているのでしょうか?
鈴 木: 構文の意味論、特に非選択目的語が生じる構文について研究しています。
― : 非選択目的語とは何でしょうか?
鈴 木: 普通自動詞は目的語をとらない動詞ですが、自動詞でも「You can walk your fat off/歩けば脂肪を無くすことができる」のように目的語(your fat)をとる場合があります。また他動詞でも本来の意味から外れた目的語をとることがあります。このように動詞と直接の意味関係を持たない目的語を非選択目的語といいます。
― : 普通に日本で英語を習った人が、同じ意味を表すなら「You can walk and your fat will go off」と2つの文で表そうとしますよね?
鈴 木: そうですね。でも上のような非選択目的語を用いた表現は特別ではなく、十才くらいの子が読む児童書でも普通に出てきます。
― : 英和辞典には載っているのでしょうか?
鈴 木: 古くからある定着した表現(基本動詞に多い)は載っていますが、比較的新しい表現や使われる頻度の低い動詞の場合は必ずしも載っていません。
― : 他動詞にはどんな例があるのでしょうか?
鈴 木: 「He frightened the hiccups out of her/彼は彼女を驚かしてしゃっくりを止めた」という言い方があります。Frightenは普通は人を目的語にとる動詞ですが(He frightened her)、ここではhiccups(しゃっくり)を目的語にとっています。日本で英語を学んだ人には違和感があるかもしれませんが、ネイティブにはすんなり理解できる表現です。
― : 当り前の言い方なのですね。
鈴 木: 非選択目的語を研究する面白さは、本来固定的であるはずの言語知識が、特定の場面において話し手の創造性によって拡張されている現場を見ることができることです。言語の世界は、一見混沌としていますが、それなりの規則性(文法)があり、だからこそコミュニケーションが成立しています。しかし規則にがんじがらめなのではなく、その規則を逆手にとって創造的な表現を楽しむこともできます。英語学(言語学)を研究すると話し手の意識に直接上ることのない(目には見えない、耳にも聞こえない)「文法」が頭の中に実在することを感じることができます。コミュニケーションにとって言語は完璧なものとは言えませんが、ことばの柔軟性や創造性を知ることにより、「ことばを尽くす」ことの意義やおもしろさも分かります。
― : 先生が英語学に興味を持ったきっかけは何でしょうか?
鈴 木: 外国語として触れる英語の向こうに自分の暮らす日常とは違う世界があるような気がしました。例えば、中高生時代に夢中だったビートルズの歌や大学生になってから読んだ英語の小説などが具体的なきっかけです。
― : 最後に高校生にメッセージをお願いします。
鈴 木: 英語であれ、日本語であれ、ことばは非常に使いでのある道具です。本を読んだり、歌を聴いたりすることは受け身な活動ととらえられがちですが、実はことばを通じて行う他人とのコミュニケーションの一つです。コミュニケーションの向こうには新たな世界が開けているはずです。
― : 先生の専門領域を教えてください
摂 津: 20世紀前半のドイツ演劇、特に大衆喜劇を研究しています。演劇はギリシャ時代から続く、最古のメディアの一つです。時と場合によってそれは宗教的儀式として扱われることもあれば、「いま」を切り裂く報道ともみなされ、またサッカーやボクシングなどにも引けをとらないほど観客を熱狂させる見世物にもなります。
私はそのような変幻自在なメディアたる演劇を、観客という要素を中心に据えて研究しています。
― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
摂 津: ミュンヒェンの喜劇役者カール・ファレンティンと、そのファレンティンから影響を受けたベルトルト・ブレヒトの仕事を当時の社会と言葉から読み解いています。
ブレヒトはドイツ、フランス、日本で高い評価を受けた劇作家ですが、その真骨頂は観客をどのようにして芝居に主体的に関与させるかという点にありました。ブレヒトは「異化効果」というロシア・フォルマリズム由来の概念を通じて観客に思考と観察の機会を与えましたが、この技法はカール・ファレンティンなどが活躍した大衆喜劇、キャバレーの見世物などにも用いられていたのです。
すなわち私の研究の大きな目的は、一般的に低俗で学術研究対象にならないと思われてきた大衆演劇やパフォーマンスの中に、普遍的な価値を見出すことです。
― : この研究に興味を持ったきっかけはなんですか?
摂 津: 田舎育ちだったため芝居や戯曲に触れる機会がほとんどなく、大学時代初めて戯曲を読んでその形式に魅せられたというのがそもそものきっかけです。
中でもブレヒトの作品には「アンチ・ヒーロー」が多く登場するので、当時の私にはとても新鮮でした。そしてファレンティンは日本でほとんど知られていません。死後60年以上が経った現在のドイツでは未だ絶大な知名度を誇っているにもかかわらず、です。このような未知の領域への挑戦が、この研究の醍醐味だと思います。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
摂 津: 国内でも海外でもいいので、新しい世界にぜひ関心を持ってもらいたいと思います。未知の事柄について知識を得ることができるのはもちろんのこと、「今まで自分がいた場所」「自分にとって馴染みのある物事」さえも新たな視点で見つめなおし、その素晴らしさを再発見できるからです。
― : 先生のご専門は英文学ですが、具体的にどんなことを研究していらっしゃるのでしょうか?
中 村: 私は主に19世紀の作家ディケンズを中心として、イギリス19世紀の小説について研究しています。ディケンズを研究するそもそものきっかけは、大学3年生の春休みに原書でディケンズの「オリバー・ツイスト」を宿題で読むように言われたことです。この時は、原書と、辞書と、日本語訳を交互に読みました。オリバー・ツイストという孤児が悪党フェイギンにスリになるように仕込まれる話ですが、彼は盗みを拒否し、最後には幸せになる話です。二十歳くらいの年齢で、教養部時代は何の勉強もしていませんでしたから、大量の英語を原書で読むのには難儀しました。ま、今読んでも難しいですけどね。
― : 何年も研究していらっしゃる先生でも「オリバー・ツイスト」は難しいのでしょうか?
中 村: 19世紀に書かれた昔の本ということもあるのですが、「オリバー・ツイスト」は労働者階級が使うコックニーという独特の言葉で書かれており、スラングが多く辞書に載っていない言葉が多く使われており、一つ一つの言葉を正確に理解するのは大変困難です。
― : ずい分挿絵が多い本ですね。「オリバー・ツイスト」は子供が主人公ですが、子供向けの本だったのでしょうか?
中 村: 基本的には大人向けの作品ですが、当時は月間分載になっており、親が子供に読み聞かせをしていたようです。私も「オリバー・ツイスト」の挿絵は大好きです。
― : 先生はなぜディケンズを研究するようになったのでしょうか?
中 村: 学部時代、「チャタレイ夫人の恋人」で有名なロレンスの「息子と恋人」という小説が大変好きで、大学院に入るとき、ロレンスとディケンズとどちらを研究するか迷い、イギリス人の先生に相談したところ、ディケンズは先行研究がたくさんあり、先行研究も研究しなければならないので大変だからロレンスを研究しなさいといわれました。ところが院で研究しているうちにロレンスがだんだんと嫌いになっていきました。そこで大学院を卒業し、ある大学に就職したときに、ロレンスはやめてディケンズを研究することにしたのです。
― : スラングや古語など普通の辞書に載っていない言葉を調べるときはどうするのでしょうか?
中 村: オックスフォード英語辞典(OED)という世界最大の英語辞典で調べます。この辞典は現在はCD-ROM版もあり、パソコンで簡単に調べることができますが、私が学生のころはそんなものはなく、巨大な本の集積でした。全20巻もあり、値段も高く、貧乏学生には手が届かない辞典でした。今から、30年近い昔でも、確か、40万円くらいしたはずです。そこでそれが買えない学生は1冊の本に細かい文字で20巻分が載っている「縮刷版」を買うのです。こっちは比べると、かなり安くて4万数千円でした。しかし、文字は本当に細かく虫眼鏡でないと見えません。だから本のおまけで大きな虫眼鏡がついてきます。
― : その国の階級ごとのスラングや文化なども知らないと読めませんから外国文学を研究するのは大変ですね。
最後に高校生に一言お願いします。
中 村: 本をたくさん読んでください。そして、大好きな作家や本を見つけてください。私は高校時代、安岡章太郎や松本清張などが好きで、彼らの本を片っ端から読んでいました。また文芸春秋に掲載される芥川賞の当選作を読むのも楽しみでした。今は本を読むことを仕事にしてしまったため、本を読むことは単純な趣味とはいえなくなり、いまひとつ、純粋に楽しめない気もしています。ですから、自由に好きな本を好きなだけ読める高校生の方が少しだけうらやましいです。
― : 先生の研究分野の異文化間コミュニケーションとは具体的にどんなことを研究していらっしゃるのでしょうか?
ライアン: 私の研究している異文化間コミュニケーションという分野は、アメリカ人や日本人が同じものを見てまったく違う感じ方をしますが、その差異を研究する学問です。例えば私が初めて日本の神社に行ったとき卍のマークを見つけて怖い思いを抱きました。日本人なら神社を表す記号と分かるのでしょうが、私はナチスドイツの鉤十字を連想してしまい、ナチスに関係ある場所かと思ったのです。また例えば「ちょっと」という曖昧な言葉の英語の訳語は存在しません。「ちょっと待っていて。」は“Please wait.”という直球の文章になってしまいます。英語は日本語に比べてダイレクトですね。
― : 先生はどうして日本にいらっしゃったのでしょうか?
ライアン: アメリカの大学で経済学部を卒業した後、アメリカで会社員をやっていました。しかし会社を辞めて、ヨーロッパ、中国、日本を回るツアーに参加し、最後に来た日本が一番気に入り、一年くらい住んでみようと思い、住んでみる事にしました。住んでいる間にますます日本が気に入り、今年で19年目になります。
― : 先生はずいぶん日本語がお上手ですが、先生はどうやって日本語を覚えられたのでしょうか?
ライアン: 実は初めて日本に来たときはまったく日本語が喋れず、車のナンバープレイトにひらがなを発見して喜んでいました。日本語を勉強しようと決めて毎日日本語で日記を書いていました。また、日本語の文法書を買って読んだり、日本人の友人とお喋りをして日本語を学びました。
― : 私は英語がうまくなりたいのですが、どうやったらうまくなれるでしょうか?
ライアン: 一番大切なのは、毎日聞くトレーニングを続けることです。インターネットやラジオ、テレビなど毎日続けてみてください。特にインターネットでESL(English Second Language)で検索すると、様々なレベルの英語で書かれた文章が出てきます。自分のレベルに合わせて読んでみるといいと思います。そして、私が日本語で書いたように英語で日記をつけるといいと思いますよ。今日起こったことや感じたことを、今まで使わなかった表現などを辞書で調べて日記に書くのはとても役に立ちます。
最後にモチベーションを常に持ち続けることです。英語で面白いものを探し、夢中になってください。英語には音楽や映画など楽しいものがたくさんあります。きっと楽しく英語の勉強ができると思いますよ。
― : 先生はドイツ文学を研究していらっしゃるそうですが、具体的にどのようなことを研究していらっしゃるのでしょうか?
渡 辺: 主に第2次大戦後のドイツ文学です。生きている作家の作品を中心に同時代に生きるドイツ人たちが何に悩み、それにどのような解決を見出そうとしているかについて研究しています。
― : ドイツ人たちの悩みとは、具体的にどのようなものなのでしょうか?
渡 辺: まず、真っ先に浮かぶのは、戦争責任やナチズムといったドイツの「過去」をめぐる問題でしょう。この問題は未だに解決していません。
― : この問題を扱った文学作品としては、どのようなものがあるのでしょうか?
渡 辺: 1968年に出された、ジークフリート・レンツの『国語の時間』が挙げられます。この作品の舞台は第2次大戦中の北ドイツです。当時ナチズムに盲目的に付き従い、ただ任務を遂行することしかできなかった父親の姿が、主人公である息子の視点を通して描かれています。全体として、ナチズムに対して何もすることができなかった父親世代への痛烈な批判になっています。
― : 現在でもドイツ人は戦争責任を感じているのでしょうか?
渡 辺: 普段から戦争責任を感じながら生活しているということはないでしょう。ただ、数年に一度――あるいはもっと長く間隔が空くこともありますが――ドイツの戦後処理のあり方について疑問を投げかけるような文学作品や社会的な出来事が現れて、それを機にさまざまな議論が飛び交うといったところでしょうか。日本も同じような歴史を背負っていますが、数年前小泉元首相が靖国神社に参拝したとき、大きな議論を呼びましたよね。ドイツでも似たような感じです。
― : 先生はなぜドイツ文学を研究するようになったのでしょうか?
渡 辺: 私はもともと山形大学人文学部の出身でドイツ文学を専攻していました。でも、ドイツに特段の興味があったわけではなく、単に「ヨーロッパの街並みはきれいだな」というような、普通の憧れ程度のものでした。ところが、ある日ドイツ人教師と話をしていた時、そのドイツ人が何気なく言った言葉にたいへん驚きました。彼女――そのドイツ人は女性でした――は、「日本の街並みはたいへん美しいと思う」と言いました。京都や金沢が美しいというのではありません。山形の、何の変哲もない住宅地を指して、美しいと言ったのです。私はそれまで、日本人がヨーロッパに憧れを抱くことはあっても、その逆はないと思っていました。でも、その時、ヨーロッパ人が日本やアジアに抱く憧れもあるのだとうことに気づきました。また、視点や民族や国が変われば、同じものでも違ったように見えることにも気づきました。それから、ドイツ人はいったい何を考えているのだろうかという点に大きな興味がわいてきて、ドイツ文学がたいへん面白く感じられるようになりました。そのドイツ人教師の一言がなければ、ドイツ文学の研究者になっていなかったかもしれません。
― : ドイツ文学のなかで、高校生にお勧めの作品はないでしょうか?
渡 辺: ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』をお勧めします。戦後に生まれた者たちが、 ドイツの「過去」とどのように向き合っていくべきかを問うた作品です。作品の中に明確な答えは書かれていませんので、みなさん自身で探してみて下さい。
― : 私も読んだことがあります。今まで何気なく読んでいたのですが、今日の先生のお話を聞いて読むと、また違った面から読めそうです。今度読み直してみます。
では最後に高校生に一言お願いします。
渡 辺: 今の人たちは新しい物事にチャレンジする気持ちが薄いように思います。高校の延長でできることだけを求めるのではなく、大学でしかできないこと、学べないことに積極的に取り組んでほしいですね。
― : 先生は行政法を研究していらっしゃいますが、具体的にはどんなことを研究していらっしゃるのでしょうか?
和泉田: 行政法は、憲法や民法などとは違い、単独の法律を研究対象とするものではなく、生活保護法や建築基準法など、六法の三分の二を占めるといわれる公法領域に分類される法律を扱います。そのような法律に共通する指導原理を探求するのが行政法学の役割ということになりますが、私はその中でも、特に、マンションや大規模小売店建設のような開発を、地方公共団体がどのように制限し得るかに関して研究しています。
― : 普通はどんな制限があるのでしょうか?
和泉田: その敷地の都市計画制限に適合していれば、普通は、制限されることはほとんどありません。建てたい人が建築確認申請を出し、地方公共団体がその敷地の容積率、建ぺい率等の基準等(建築基準関係規定)と照合し、適合していれば、建築確認がなされ、建てることができるのです。
― : もし騒音や風景が悪くなるなどで地域の住民が反対したらどうなりますか?
和泉田: 騒音規制法や景観法の規制の範囲内であることを前提にしていえば、建築基準関係規定に適合していれば建築確認を出しておしまい、ということも可能ですが、多くの場合は、住民の話を聴き、建築主に住民との話し合いを持つように勧めたり、もしくは階数を減らすなどの勧告を行います。いわゆる、行政指導です。
― : 行政指導には従う義務はないんですよね?行政指導を無視してそのまま建てることもできるのではないでしょうか?
和泉田: 法的にはその通りです。しかし、それでは住民も地元も困ってしまうことが多いので、どうやって従ってもらうのかが考えどころです。
― : どうやって住民の意見も通すのでしょうか?
和泉田: 法律では予め決められた項目についてしか規制ができないので、そうなると、行政指導で工夫するしかないのです。例えば、行政指導要綱という、議会の議決を経ない行政の内部限りで定めたきまりを、法律と同じような形式で文書化して、心理的に圧力をかける手法があります。また、当然、法律のような強制力はあるわけではありませんが、「守らないと地方公共団体は必要な協力を拒むことがある」、などといった規定を含んでいることが多いです。
― : それで本当に効果はあったんでしょうか?
和泉田: ある程度効果はあったようです。しかし、あるマンションを建てるときに、前述のような指導要綱に従って、地方公共団体が運営する水道を供給しないとしたことがありましたが、最高裁で敗訴しました。その後、行政指導によるこのような開発の規制を通すことは難しくなっています。
― : 先生はどうして行政法を研究することになったのでしょうか。
和泉田: 大学を出て地元の市役所で12年間働いていました。地域や地元の人のために働きたいと思ったからです。しかし、自分のしている仕事が地元の人のためになっていないことに気づき、市役所を辞めて大学院で勉強し直そうと考えました。そこで、行政法学と先ほど説明した問題に出会いました。
― : 高校生に一言お願いします。
和泉田: さだまさしさんの歌の一部を借りて言いますが、「がんばらない、あきらめない、夢を捨てない」という言葉を贈りたいと思います。この言葉について説明が欲しいと思った人は、さださんの「誓いの言葉」という曲を聴くか、山形大学人文学部に入学して私のところまでいらして下さい。
― : 先生の研究していらっしゃる商法とはどのようなものなのでしょうか?
コーエンズ: 商法は大きく分けて2つの分野に分かれています。1つ目は会社法と言って、会社という組織についての法律のことです。この法律では主に会社の設立の方法や株主総会などに関することを取り扱っています。2つ目の分野は商法など商取引に関することを取り扱っています。もともと商法の中に会社についての法律も含まれていたのですが、時代の流れの中であまりにも膨大になり、商法から独立してしまいました。現在私は、商取引に関する法律について研究しています。
― : 商法の難しさと面白さとは、例えばどのようなことでしょうか?
コーエンズ: 利潤の追求を目的に活動する企業には公正で効率的なルールが必要です。あまり厳しいルールで縛ってしまうと、企業の本来の目的である利潤が生まれなくなることもあります。そのあたりのバランスが商法の難しさであり、面白さでもあります。
現在特に、銀行の振込みや証券会社の売買取引について研究しています。銀行口座は家賃や公共料金の振込み、通信販売での支払いに利用するときに使いますが、便利な反面、取引の当事者の間に銀行という第三者機関が加わることで新たなトラブルも発生する可能性があります。たとえばATMで間違って別の口座に振り込んだときは誤振込みといいますが、どうしたらいいのでしょうか?
― : 誤振込み先に頼んで、返してもらえばいいと思います。
コーエンズ: もちろんそのとおりなのですが、お金というものは名前が書いていませんので、受け取った人のお金と混ざってしまった場合、その人が拒否したり、行方が分からないときには、解決が難しくなります。さらに企業同士の取引で誤振込みした場合は金額も大きく、問題も深刻です。またもし相手が倒産していた場合は債権者もお金を欲しがりますし、誤振込み金はどうなるのでしょうか?この場合の最高裁の判決では、債権者と誤振込み人に同じ位の権利があり、お金を等分に分けなければならないとされました。誤振込み人がかわいそうだという意見もありますが、どう思いますか?そこで振込み人を守ることも考えなくてはなりません。しかし銀行が全ての振込みを確認すると法律で決めてしまうと毎日大量に行われている振込みという取引が円滑に行われなくなってしまいます。誤振込み人を守るということと振り込み取引全体が円滑に行われるようにするということのバランスを考えながら、ルールのあり方を考えていくところが商法の難しさと面白さです。
― : 先生はなぜ商法を研究しようと思ったのでしょうか?
コーエンズ: 大学時代、商法のゼミに入っていました。学生ですから企業の活動について、あまり知識もなく学んでいたのですが、自分とはまったく関係ない人々のことを想像し、いろんな立場の人々の利益のバランスを考えることが面白かったので研究の道に進みました。
― : 最後に高校生に一言、お願いします。
コーエンズ: いろんな分野のたくさんの本を読みながらそこに書かれることをイメージする力を身につけてほしいと思います。活字から映像を作り上げるような力です。法律が適用される場面には、皆さんが遭遇したときのないようなことがたくさんあります。経験の無いことでも想像することにより何が問題になっているかを自分の力で理解することができるようになり、また自分自身でその解決法を考えることが楽しくなります。
― : 先生のご専門は憲法学・教育法学ということですが、どんな研究をされているのですか?
今 野: 私が研究しているのは特に憲法26条の「教育を受ける権利」です。子どもの学習権を保障するため、国は教育の条件を整えなければなりません。しかし現在、子どもたちの教育は、塾など民間に委ねられる部分が増えています。
― : そうすると、どんな問題点があるのでしょうか?
今 野: 貧しい家庭の子どもたちの教育がおろそかになり、チャンスが公平に与えられないことになります。教育予算を増やし就学援助を手厚くするなどして、教育の機会均等を確保すべきです。要するに、国は条件整備で手抜きをしてはならない、ということです。しかし他方で、国が介入を強めている部分もあります。
― : どのようなことでしょうか?
今 野: 学校の授業内容は、学習指導要領という文書で決められています。昔は先生の手引書だったのに、今では先生が従わないといけない国の基準だと言われている。先生の教える自由が少なくなっているわけです。でも、学校制度を整備したり教育のために十分なお金を支出したりすることこそが国の仕事なのであって、子どもに教える具体的な内容にまで国が踏み込んではいけないと思うのです。
― : 最近はどういう問題がありますか?
今 野: 2006年に安倍内閣の下で教育基本法が改正されましたが、愛国心の教え込みなど、憲法に反する内容を含んでいるのではないかと議論になっています。
― : 先生は日本の教育法学を議論するのにフランスを参考にしてらっしゃいますが、日本と比べてフランスのどういうところを比較の対象とされていますか?
今 野: フランスにも学習指導要領はありますが、教科書検定はありませんし、教師はかなり自由に教育ができるのですよ。政治のために教育を使う試みはフランスでもナポレオンの時代など何度もありましたが、基本的に、フランス革命以来、教育における自由の伝統が現在まで受け継がれてきている点に、興味をひかれます。
― : 先生が憲法学、特に教育法学を研究することになったきっかけはなんですか?
今 野: 大学時代のゼミの先生がこの問題を取り上げていて、大学院に入ってから、フランスの憲法や教育法の歴史や制度を研究することが、これからの日本にとって必要だと思うようになったのです。
― : 憲法学の面白さとはなんですか?
今 野: ただ法律の字面だけを見ても面白くないと思うんです。常に社会は動いており、様々な問題が絶えず生じています。憲法や教育法に関わる問題を取り上げて考察を加え、ダイナミックに現実と格闘することに意義を感じます。現代社会をどうしたいか考えることこそ、憲法学の醍醐味です。ちなみに、憲法は市民の行動を制限するものではなく、国家の権力を制限するものなのですよ。
― : 最後に高校生に向けて一言お願いします。
今 野: 時間を見つけて本を読むことをお勧めします。大学で法律を学ぼうと思い定めている人でも、法律に限らず歴史、文学、哲学、自然科学など、できるだけ幅広い分野の本を読み、教養を身につけることが大切です。それが基礎となり、自分で考える力が育ちますし、専門的な勉強をするとき、きっと役立つはずです。
― : 先生が研究していらっしゃる刑事訴訟法とはどんな学問でしょうか?
高 倉: 私が研究している刑事訴訟法とは、刑事手続に関する法律です。刑事手続とは、刑罰を実現するための手続です。
たとえば、警察などの捜査機関は、犯罪が発生したと思料すると捜査を開始し、犯人の発見・確保や証拠の収集・保全をします。刑事事件は警察から検察官に送られる仕組みになっていますが、検察官は、その事件について被疑者を起訴するか不起訴にするかを決めます。検察官がその事件について裁判所に起訴しますと、その事件は裁判所に係属し、裁判所で審判がなされますが、裁判所は、検察官と被告人・弁護人との主張を聴いた上で、被告人が有罪であるか無罪であるかを判断し、有罪ならばどれぐらいの刑罰が妥当かを判断します。
刑事手続はこのようなプロセスですが、ただ、この中にはさまざまな利害関係がからんできます。その最たるものは、真実を発見し刑罰を実現する利益と被疑者・被告人の憲法上の人権との衝突でしょう。ここにさらに被害者参加制度が導入されるわけですから、利害関係はさらに複雑になるでしょう。
刑事訴訟法は、このような利害関係をどのように調整していくかを考える学問です。刑罰はただ実現すればよいというものではなく、適正な手続を経て実現しなければなりません。
― : 来年から裁判員制度が始まりますよね。
高 倉: そうです。殺人罪などの重大な刑事事件において、裁判官3人と裁判員6人が協働して、被告人が有罪であるか無罪であるかの事実認定をした上、有罪であるならば、どれぐらいの刑罰が妥当なのかを判断します。一般国民に刑事手続に参加してもらい、国民の健全な社会常識を裁判内容に反映させようとしています。
素人の方々にふだんの仕事を休んで参加してもらうわけですから、刑事手続を従来よりも迅速に分かりやすく進めることが求められており、わが国の刑事手続は大きな変革の中にあります。
― : 先生は主に刑事訴訟法の何について研究していらっしゃるのでしょうか?
高 倉: 二重の危険の法理について研究しています。
二重の危険の法理とは、何人も同一の事件について再度有罪の危険に置かれないという法理であり、憲法39条を根拠としています。この法理は、国家訴追権限の濫用から一個人である被告人を保護するために考え出されたものです。ただ、この法理でいう「同一の事件」とは何か、「有罪の危険」とは何かが問題になりますが、これらのことを日々研究しています。
― : 先生はなぜ刑事訴訟法を研究するようになったのでしょうか?
高 倉: 大学3年生のときに憲法のゼミに入っていましたが、憲法のある教科書を読んでいたら、憲法21条の表現の自由などについては多くの頁がさかれていたのに、被疑者・被告人の刑事手続上の人権を定めた憲法31条から40条については、それほど頁がさかれていなかったのです。そこでこれらのことをもっと勉強しないといけないと思い、大学4年生のときに刑事訴訟法のゼミに入りました。以来、刑事訴訟法を研究させていただいています。
― : 最後に高校生にメッセージをお願いします。
高 倉: 新聞やテレビなどで社会の動きをチェックしましょう。刑事事件に関するマスコミの報道を簡単に鵜呑みにせず、一歩さがって冷静に考えてみてください。日本の刑事手続が必ずしも常に正確な事実認定をして真犯人に妥当な刑罰を科しているわけではありません。刑事被告人には「無罪の推定」が及んでいます。
― : 先生のご専門は憲法学ですが、主にどんなことを研究していらっしゃるのでしょうか?
中 島: 憲法第20条の「信教の自由」と「政教分離原則」について研究しています。特に宗教団体に対する法規制のあり方について、フランスの事例を題材にしています。
― : どうしてフランスなのでしょうか?
中 島: フランスでは新興の宗教団体に対して、比較的厳しい規制が設けられています。その規制が、国家の宗教的中立性との関係でどのように正当化されたのかという点に関心があります。フランスは厳格な政教分離を国是とする国として有名ですが、実務においても学説においても、ある程度柔軟に解されてきた面があります。少なくとも建前上はどの宗教に対しても国家は平等な扱いをするものとされてきました。しかし実際には、特定の宗教に対して厳しい態度を取っている可能性があります。このことは日本の信教の自由や政教分離原則のあり方を考える際に、とても参考になると思うのです。
― : フランスの政教分離はどのようなものなのですか?
中 島: フランスでは、基本的に公の領域に宗教を持ち込んではいけないと考えられています。特に問題になるのは公立学校です。公立学校では、例えばイスラム教徒の学生がスカーフを着用することが禁止されます。スカーフは宗教上の意味を持っているからです。禁止を守らない場合、最終的には退学処分になることもあります。
― : 厳しいですね。どうしてそんなに厳しいのでしょうか?
中 島: 人は、例えば出身、宗教、人種などの面で様々な「違い」を持っていますよね。そのような個人個人の「違い」をいちいち尊重するのではなく、敢えて「無視」することでいろいろな個人が平等に共有できる空間を維持したいと考えられているからです。フランスのアイデンティティにもかかわる問題なので、非常にこだわりがあるのです。
― : 先生はどうして憲法学を学ぼうと思われたのでしょうか?
中 島: ほとんど偶然です。大学生の頃、サークルの先輩に「憲法のゼミは自分のペースで自由に勉強できる」と勧められました。入ってみるとこれがなかなか面白くてのめり込んでしまいました。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
中 島: 様々な社会問題に対して自分が高校生のころに感じていたことが、現在の研究テーマを選んだ理由の一つになっています。高校生の皆さんも、今自分が直感的に思っていることを大切にしてほしいと思います。大学に入ってからそれを学問的にじっくりと突き詰めてみることによって、いろいろなことが見えてくるのではないかと思います。
― : 先生の専門領域を教えてください
西 岡: 専門領域は(狭義の)刑法学です。刑法は犯罪と刑罰を規定する法ですが、(狭義の)刑法学は、個々の犯罪と刑罰に共通する事柄を考察対象とする刑法総論と、個々の犯罪と刑罰に固有の事柄を考察対象とする刑法各論に大きく分けられます。さらに、刑法総論は、犯罪の一般的な成立要件を主たる研究対象とする犯罪論と、個別の刑罰の内実や正当化根拠および刑の適用等を研究対象とする刑罰論に分類されます。私は、その中で、犯罪論における責任論と刑罰論を現在の研究テーマとしています。
― : 具体的にどのような研究なのでしょうか?
西 岡: 犯罪が成立するためには、刑法上違法な行為をした人を個人的に非難することができなければなりません。例えば、3歳の子どもが万引きをしても、その子どもに対して窃盗罪の成立を認めることはできません。また、重度の精神障害によって物事の善し悪しを判断することができなかったり、その判断に従って行動することができない人が同様の行為をした場合にも、その人に対して犯罪の成立を認めることはできません。これらの人々には刑法上の責任能力が欠けているとされるのです。しかし、たとえ、このような責任能力が備わっていたとしても、行為の際に行為者に適法な行為をすることを期待できない場合には、やはりその人を個人的に非難することはできません。刑法学においては、この「非難可能性」が「責任」の実体とされています。ところで、刑法学においては、「責任なければ刑罰なし」と表現される責任主義(または責任原理)と呼ばれる近代刑法の基本原則が存在します。したがって、過度の刑罰賦科を回避するためにも、「責任」の内実を明確にしておくことが特に必要となります。しかし、近年の国内外の刑法学においては、刑法上の責任の内容を、違法な行為をなした個別の行為者に対する非難可能性としてではなく、社会にとっての刑罰賦科の必要性、つまり、行為者を処罰することが犯罪予防目的に資するか否かの観点から再構成しようとする見解も唱えられており、このような潮流には危惧感を抱いています。このような潮流に抗して、責任主義を担保するために責任概念を如何に把握すべきかについて研究しています。また、「責任概念を如何に把握するか」という問題は、「刑罰の本質ないし目的を何処に求めるか」という問題と密接な関連を有していることから、「国家が刑罰を賦科することがどのような理由から正当とされるのか」を巡る議論についても研究しています。
― : 刑法学に興味を持ったきっかけは?またこの研究の面白さとは?
西 岡: もともと刑法学に興味を持ったきっかけは、学部時代に刑法の講義を受講した際に、難解な用語が頻出し学説の対立も激しく厄介だなと思いつつも、その点に学問的な魅力を感じたことです。そこでより深く刑法学全体について知りたいと思い勉強していく中で現在の研究テーマに辿り着きました。私が研究テーマに選んだ責任論や刑罰論は、「ある人を法的に非難することができるということは、その人が違法な行為以外の適法な行為をなすことができた、ということを前提にしているが、そもそも人間にある特定の行為をなすという意思の自由は存在するのか」とか、「そもそも国家が犯罪者に対して刑罰を賦科することは如何なる根拠をもって正当化されるのか」といった哲学的な問題をも含み得るものであり、その点に面白さを感じています。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
西 岡: 高校生のみなさんは、いま実社会で生起する様々な事象に対して問題意識を持って接していますか。世間において一般的に是とされている事柄に対しても、それを無批判的に鵜呑みにせずに、果たしてそれは本当に是とされるべき事柄なのかと常に疑問を抱きながら、自分の頭で批判的に考える習慣を身に付けてください。
― : 先生のご専門は国際法ですが、具体的にどんなことを研究していらっしゃるのでしょうか?
丸 山: 国際法は、一言で言えば「国際社会の法」です。基本的には国と国との関係を規律する法ですが、現在では国連をはじめとする国際組織や、個人や企業の活動も規律の対象になってきています。また、国際法は、戦争と平和、国境問題、外交関係といった伝統的な問題だけでなく、人権、地球環境、開発・貧困、難民・移民、通商・経済活動など、我々の日々の暮らしに密接に関わってくる問題も対象とするようになっています。ですから、国際法は決して遠い世界の話ではないといえます。国際組織法は、そうした国際法の発展に大変に重要な役割を果たしている国連や、IMF、世銀、WTO、EUなどといった国際組織の組織構造や活動に関する法を対象とします。こうした国際組織についてはニュースや新聞で見聞きしたことがあると思いますが、それらはただ何となく思うがままに活動しているのではなく、例えば国連について言えば、国連憲章という条約すなわち国際法に基づいて活動しているわけです。ですから、国連の活動を理解する場合には、国連憲章を詳細に検討する必要があるわけです。私はそのなかでも安全保障理事会(以下、安保理)の活動・権限・機能について研究しています。
― : 日本は確か常任理事国入りを希望していますよね。
丸 山: そうです。安保理については、日本が常任理事国になるべきかどうかということがよく話題になりますが、その前提として、そもそも安保理は国際社会においてどのような役割を果たそうとしているのか、また果たすべきなのか、について日々考えています。また、安保理は結局大国(とくに米国)の言いなりだ、という意見も聞かれますし、実際、それは一面の真理なのですが、じゃあ、それに対して国際法は何もできないのかというとそういうわけでもないと。そういった問題意識から、安保理の活動をどのように法的にコントロールしていくか、ということについて研究を進めています。
― : 先生はどうして国際法を研究するようになられたのでしょうか?
丸 山: 高校生のときに、外国で生活したいと思い、じゃあ外交官だ!と何となく思っていました(笑)。それで大学は国際関係を学べるところを選択しました。そこで国連職員の経験を持つ先生方と出会いました。その影響で、国際組織に興味を持つようになりました。そして、その先生方の専門がたまたま国際法だったということで、国際法をもう少し専門的に学んでみようと思ったのです。そして、大学院では国際組織法で著名な先生に指導してもらうことになったのですが、気づいたらいつの間にか国際法の魅力にとり憑かれていたというわけです(笑)。
― : 最後に高校生にメッセージをお願いします。
丸 山: 大学時代の恩師の受け売りですが、次の言葉をメッセージとして送りたいと思います。人として生まれた以上、誰でも社会をよりよくしていくという使命を与えられています。どんなことでも、小さなことでも、自分が社会をより良くしていくんだという「意思」と、そのための「能力」を備えるよう努力を積み重ねていってください。山形大学法経政策学科は、広く国際関係に興味・関心のある学生も大歓迎です!
― : 先生の研究されている経済学史とはどんな学問ですか?
下 平: 経済の歴史を扱う学問です。現在起こっている経済問題を、どうして起こるのかを考えるのが、経済学の発展のために必要です。そのために必要なのが、経済学史という学問です。
例えば不況のとき、公共事業を起こして雇用を増加させ、好況のきっかけにすることが行われました。
― : アメリカのニューディール政策などですね。
下 平: そうです。ニューディール政策以前にもこういうことは主張されていたんですよ。
― : もし今の日本で同じようなことを行ったら、どうなりますか?
下 平: そうですね。今の日本では経済のグローバル化が進んでいるので国内の雇用は増加せず、上手くいかないでしょう。このように経済の状況が変われば、以前の経済理論が通用しなくなることもあるのです。
また現在盛んな市民が中心となって活動しているNPO活動なども似たようなことが、100年前のイギリスで行われていたんですよ。市民が自分たちで協力しあって活動を行っていたんですよ。
― : なぜ先生は経済学史という学問を選ばれたのですか?
下 平: もともと不況や失業に関心があり、普通の経済学をやってきたのですが、そのメカニズムを研究していくうちに経済の歴史のほうに関心が移ったんです。
― : どういうところが経済学史の面白さですか?
下 平: 経済学史の面白さとは「歴史は過去のことではない」ということです。
― : どういう意味ですか?
下 平: 今現在行われている経済の活動は、過去の歴史で同じようなことが起こっています。経済の問題に直面したとき、経済学史をひも解くことで同じようなケースが見つかり、それを研究することで解決の糸口が見えてくるのです。
― : 「歴史に学べ」ということですね。
下 平: そうです。客観的に歴史を見ることで現在の問題を解決することが経済学史の面白さです。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
下 平: 高校生のうちに自分で物事を考える習慣をつけることです。大学は講義の他に自分でテーマを発見して、自分で考えて発表する演習があります。そのために早いうちから自分で考えることを習慣つけることが必要です。
― : 先生の専門は政治学、日本外交史だそうですが主にどんなことを研究しているのでしょうか?
松 本: 日本という国が諸外国とどのように交流してきたかについて考え、どうしてこんな風になったのかを考えています。特に日本における外国人の扱いについて研究しています。
― : 最近山形でも普通に外国人を見かけますね。
松 本: 昔は外国人の扱い方を国が決めていましたが、最近はその外国人が住んでいる地方自治体が決めます。今やっている研究では、地方自治体の施策を調査しています。山形県の中でも変化しているので、市町村の人は苦労していると思いますが、外国人に対する対応が変化するのが面白いですね。また、古い話や現代の話を調べていき、そのつながりを調べるのも面白いです。
― : 先生はどうして日本での外国人の扱いを研究するようになったのでしょうか?
松 本: 世の中にはマイノリティーと呼ばれる力の弱い人達や人数が少ない人達がいますが、そういう人たちの扱い方にその政治の特徴が現れるのではないかと思ったのです。たとえば在日コリアンの人々は戦争が終わるまでは日本国籍を与えられていましたが、敗戦後、条約もなく日本国籍を失いました。在日コリアンの人々はこうやって厄介者払いをされ、不利な扱いを受けました。こういった例からマイノリティーの人々と政治の関係が分かります。マイノリティーの人たち自体を研究対象にすることは多いですが、国や地方自治体とマイノリティーの人たちの関係を研究対象にしようとする人は少ないです。それも研究動機の一つですね。
― : 最後に高校生の皆さんに一言お願いします。
松 本: 何事も積極的に間違えていってほしいですね。そして間違いから何か得るようにしてください。また他の人(お父さんやお母さん、お祖父ちゃんやお祖母ちゃん等)の体験を聞いてみてください。自分自身がひとつひとつの歴史の積み上げであることを意識してほしいですね
― : 先生の研究していらっしゃる地理学とはどんな学問でしょうか?
山 田: 私の研究している都市地理学とは、都市が大きくなるにつれて出てくる様々な問題をどうやって解決するかを研究する学問です。私の仕事は、統計資料には現れにくいその土地の特徴を実際に行ってみることで理解し、問題解決のお手伝いをすることです。みんなで街について考える。そして,それぞれの人がその土地に対して自分なりの愛着を持つことができるようになればいいと思ってます。
― : 大変ですね。
山 田: いえ、けっして大変なわけではなく、むしろ楽しいです。その街の良い所を見つけるためには、その土地に溶け込み、人と話し、一緒にご飯を食べ、楽しむことが必要なんです。その土地を楽しむことが、地理学のフィールドワークの第一歩ですから。
― : 具体的にはどんなことをやっていらっしゃるのでしょうか?
山 田: 最近では、温泉街にどうやって観光客をひきつけるかを考えて、街を散歩してもらうのに面白い散策コースを作って、観光客に楽しんでもらう提案をしています。また、橋や道路の位置をチェックして、交通渋滞の原因を指摘したり,災害のときに使用できるルートを見つけて、県や市に報告するといったことも仕事の一つですね。ここ数年は,離島に住む人々の生活や行動を調べて,お年寄りが多くなった離島の今後について政策的な提言をしようと思っています。
都市を開発することで周りの自然にどんな影響があるかを調べるのも都市地理学の仕事ですが、それは現在やっていません。
― : 先生はどうして地理学を研究しようと思われたのでしょうか?
山 田: 私の学部時代の専門は経済学でした。現象を数字で表して,客観的な結論を導き出す経済学はそれなりに魅力的でしたが、経済学の卒論を書いている時に、人の生活は数字で測れないところに面白さがあるんじゃないかなって思ったんです。それで大学院では、現地での観察を重視する地理学を選択しました。現在は、数字の客観性に頼る研究もしていますが、それが全てではないという気持ちも大切にしています。「地理学の講義は講義室ではしない」と指導教官に言われ、新鮮に感じたことを今でも思い出します。
地理学を選んだもう一つの理由は、親の仕事の関係で、新しい土地で暮らすことが多く,その土地になじもうとする思いが子どものころから強かったためだと思います。私には「ふるさと」と呼べるようなところはなく、「ふるさと」がある人に大変あこがれていました。行く場所に愛着を持ちたい、その土地のことを知りたい、という気持ちが地理学の選択に結びついたと思います。
― : 高校生に一言お願いします。
山 田: 中学校や高校で勉強する地理という科目が好きな人はもちろんですが、暗記科目であまり好きではないという人も,旅行や鉄道が好きであったり、環境や土地に興味があったら、ぜひ人文学部の私の研究室まで遊びに来て下さい。
― : 先生はミクロ経済学と公共経済学を研究していらっしゃいますが、主にどういうことを研究していらっしゃるのでしょうか?
是 川: 私の研究しているミクロ経済学では消費者や企業がどのように経済行動を決定するのか、またそれらの行動がどのように結びついていくのかについて分析します。
― : たとえば、どういうことでしょうか?
是 川: 消費者はどれくらいの時間働くか、またそれによって得た所得で何をどれだけか、また企業は雇用量や生産量をどれだけにしたらよいかを分析しています。
また市場のはたらきについても分析しています。公共経済学はそのミクロ経済学の考えを用いて、政府の活動について考えます。ところで不況になると缶コーヒーが売れなくなるといわれていますが、どうしてだと思いますか?
― : ビジネスマンが買わなくなるからでしょうか?
是 川: 缶コーヒーを一番買う人はトラック運転手や夜道路工事をする人です。不況になると流通が減り、また公共事業が減ると道路工事が行われなくなります。流通が減ります。そのため缶コーヒーが売れなくなるのです。こういうことを分析するのがミクロ経済学です。
― : ミクロ経済学は身近なところで使われているのですね。ミクロ経済学の面白さとはなんでしょうか?
是 川: 企業や家庭や政府の行動が複雑に関係しあって現実の社会現象が生じています。企業や家庭の結びつきを一つ一つ解明していくところにおもしろさを感じています。人間一人一人の行動は独立しているのに、みんながやると「影響」になり社会を動かします。
― : 面白いですね。先生はなぜミクロ経済学を研究しようと思われたのですか?
是 川: 大学生のとき、ゼミの勧誘の掲示板を見ておもしろそうと思ったのがきっかけです。実際にゼミに入ってみたら身近なことを論理的に考えることのおもしろさに気づき、そのまま研究者になりました。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
是 川: 高校での勉強を大切にしてほしいと思います。一見すると役に立ちそうもない内容に思えますが、実は大学の勉強に重要な役割を果たすものであることがあります。高校での勉強をしっかりやりましょう。
― : 先生のご専門はゲーム理論ですが、具体的にどんなことをやられているのでしょうか?
鈴 木: ゲーム理論とは人々の相互依存に対する研究です。自分の行動が他人の行動に影響を与え、また他人の行動が自分の行動に影響を与えるような状況を分析します。有名な例では「囚人のジレンマ」があります。また、ビール市場などは完全競争と呼ばれる状態ではなく、数社が市場シェアのほとんどを占める寡占状態です。このような状況では、例えば一社が新しいビールを出すと、他の会社はビールのシェアを奪われたりします。ゲーム理論は経済学・経営学・政治学など社会科学だけでなく、生物学などの自然科学を含む様々な分野で使われているのです1)。最近では、実験経済学と呼ばれる分野の研究もしています。理論と観察される行動が異なる可能性がある場合に、被験者を集めてゲームを実際にプレイさせることで行動データを集めて、その結果を分析するのです。
― : 心理学と似ていますね。
鈴 木: 一般的に、心理学者は個人の認識そのものに関心がありますが、経済学者は世界や一国全体としての平均的ふるまいに関心がある場合が多いという点で違いがあります。経済学というとお金のことだけを研究していると思っている人が多いのですが、実は人々の行動を考える学問なのです。その意味では、心理学とは近いと言えるでしょうし、近年では双方の分野で影響し合っていると思います。
― : ゲーム理論の面白さとは何でしょうか?
鈴 木: 新たなものの見方を獲得することができるという点ですかね。これは経済学を知らない人にとっての経済学と同じですが。私の学生時代には、ゲーム理論についてミクロ経済学の教科書にはほとんどちゃんと載っていませんでした2)。しかし、今ではゲーム理論とは経済学における重要な分析ツールになっていますし、ゲーム理論を使って書き直されたミクロ経済学の教科書さえあります3)。
― : 先生は高校生のころからゲーム理論を研究したいと思っていたのでしょうか?
鈴 木: いいえ。高校生のころは何も知りませんでした。ただ、家族が皆経済学部出身でしたので、経済学の本は周りに多くありました4)。また、数学が好きだったせいもあり、私も経済学部に入学しました。1年のとき、経済学部の先生が教養の数学を担当しており、そこで少しだけゲーム理論について説明してくれました。面白いなと思い、その後その先生のゼミに行きました。また3年生のとき生協で本を見ていたら先生が通りかがり、「別の先生が大学院でこの本を使って輪読しているから出るといいよ。伝えておくから」とおっしゃってくださり、いつの間にか参加することになりました。非常に大変でしたが、今思えばいい経験だったと思います。実験経済学も学会で知りやってみたいと思っていましたが、後輩の勤めている大学に実験の専門家が入ってきたことがきっかけで一緒にやり始めました。
― : 先生は出会いの運がとてもいいのですね。最後に高校生に一言お願いいたします。
鈴 木: 受験勉強というのは大学に入ってからの考えるベースを作るという役割もあります。また、新聞を読むにしてもただ読むのではなく、考えながら読むことをお勧めします。ただ知識だけを詰め込むのではなく、考えること・学ぶことを楽しめる人になってください5)。
1) 中山・武藤・船木編『ゲーム理論で解く』(有斐閣)には多くの応用例があります。
2) 岩井・伊藤編『現代の経済理論』(東京大学出版会)の第I章にその頃の教科書事情(私の学生時代はもう少し後ですが、似たようなものです)が書かれています。
3) 梶井・松井著『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』(日本評論社)を参照。
4) 絵本だってあります。ルイズ・アームストロング著『レモンをお金にかえる法-経済学入門の巻』・『続・レモンをお金にかえる法-インフレ・不況・景気回復の巻』(河出書房)が有名です。
5) 三田紀房著『ドラゴン桜』(講談社)にも同様の記述があります。
― : 先生の専攻していらっしゃる計量経済学とは初めて聞く分野なのですが、どういうことを研究していらっしゃるのでしょうか?
砂 田: 私の研究している計量経済学とは、経済理論、統計学とデータを用いて経済現象を研究する学問です。研究者によって、現実の経済現象を分析することに重点を置くタイプと、分析方法である統計学の研究に重点を置くタイプの二通りがあります。私は金融市場のデータを計量経済学の立場から分析し、金融市場の動向を予測したり、価格変化の特性について研究しています。
― : 株価指数や先物取引についての用語がよく分からないのですが、教えてください。
砂 田: 株価指数は株式市場全体の動きを表す指標です。東京証券取引所が発表する株価指数はトピックス(TOPIX)と言います。一方、日本経済新聞の発表する指標が日経平均株価指数です。計算方法が違うので、細かい点などは異なります。
先物取引とは、大雑把に言えば、商品やサービスなどを将来時点で買うあるいは売る価格を現在決めておき、将来時点で商品の値段が上がっても下がっても、予め決めておいた価格で売買する取引のことです。例えばある商品を1ヵ月後に100円で買う契約を結んだなら、1ヵ月後に商品の値段が80円になっても100円で買わないといけません。この場合は購入者が損をします。反対に商品の値段が上がり120円になっても100円で買えます。この場合は購入者が得をします。
― : ギャンブル的な側面もあるのですね。
砂 田: はい。確かにギャンブル的な側面もあります。しかし、会社や個人が将来取引する金額を事前に確定できるという側面もあります。アメリカの農家では、自分が栽培している作物の売却価格を事前に決定できることから、多くの農家が先物取引に参加しているそうです。
― : 先生はなぜ計量経済学を研究しようと思われたのでしょうか?
砂 田: 私は学部生のときに統計学の講義を聴いてその考え方に大変興味を持ったのがきっかけです。大学院には統計学の知識を生かして現実社会を分析しようと思って入学したのですが、最初のうち(修士課程)は分析方法である統計学の研究を中心にしていました。途中から(後期博士課程)は逆に現実の経済現象を分析することを中心に研究しました。現在、研究対象としている先物などの金融派生商品(デリバティブ)については、後期博士課程で指導していただいた先生が研究しているのを見て、面白そうだなと思い、本格的に取り組みました。
― : 高校生に一言お願いします。
砂 田: 高校生のときは受験科目ばかりではなく、それ以外の教科についても勉強して欲しいですね。高校で学ぶ知識は、大学生になって様々なことを学ぶ際の基礎となるからです。さらに将来、興味を持ったことを学ぶ際にも、高校で学んだことは役立ちます。高校時代の勉強は、今後の皆さんの生活を豊かなものにしてくれることに繋がっているのです。
― : 田北先生の専門領域を教えてください
田 北: 都市経済学・地域経済学、情報経済学です。最近では地域計画といったものもやっています。
― : 具体的にはどのようなものなのでしょうか?
田 北: 都市経済の分野は、企業・世帯・政府の立地モデルをモデリングしてシュミレーションするというものです。最近では道州制の導入によって地域がどのように変わっていくかという中央政府と地方政府の立地メカニズムについて分析しました。
地域経済の分野では、地域ブランドの価値評価の研究を始めています。具体的にいうと、さくらんぼです。山形県産のさくらんぼは果物の女王と呼ばれるほど価値が高いです。最近では山梨県産や青森県産、外国でも佐藤錦が作られていますが、同じ商品でも山形という名前でどれくらい価値が違うか、そういったものを実際に評価しています。同商品では4000円くらい評価が違うと結果も出ています。山形にはつや姫や米沢牛といったブランドもあります。そのネームバリューを高めるために古くは新聞や雑誌、ラジオやテレビ、今ではインターネットといった情報媒体を通じて知名度が上がると考えた場合、情報の価値というのも研究の一環として進めています。
情報経済の分野では、これまでは携帯電話の需要分析やバーチャルユニバーシティ、インターネット上の大学のことですが、そういったものがどれくらい普及するかといった分析を行ってきました。最近では3次元仮想世界の有効性を分析するということで、東北大学の電気通信研究所と連携しながら、仮想現実の技術と社会の融合の研究も始めています。
その他、地域ブランドの発掘ないし知的財産の保護に関しても非常に興味を持っていて、知的財産戦略を考慮した地域経済の活性化、特に農業や地域資源を活かした地域発展のメカニズムに研究をしています。さらに我々の研究室では理論および実証研究に基づき地域連携もスタートしています。具体的には地域の方々や料理家の方との協働を通じて進めています。
従って我々の研究室では様々な分野の理論、実証、地域の協働、この3つを柱として活動していますし、卒業論文が必須となっています。ほかでやられていないようなテーマを探すことからスタートし、質の高い卒業研究を目指しています。
― : 先生がこれらの研究に興味を持ったきっかけを教えてください。
田 北: 私が特に興味を持っているのは都市と地方です。今までは大都市への集積というものが議論されてきました。しかし様々な障害が発生する中で、地方に対する集積のメカニズムが発生するための主要因は何か、都市を越えて地方が繁栄するメカニズムは何かと考えてきました。インターネット時代を迎え、地方でも少数の新しいアイディアを持っている方々が実際に起業できるようになり、どのような形で地域が知的財産戦略を立てながら、都市との間で競争していくためのメカニズムに興味を持つようになりました。山形では古くからさくらんぼや紅花といった古くからの知的財産を大事にしてきました。そういった都市の視点からではなく、地方の視点で研究を進めています。
― : 最後に高校生に一言お願いします。
田 北: 全ての学問の基は身近なものからスタートし、積み重ねられてきました。勉強というのはそこを大事にしなければどんなに頑張ってもものになりません。ですから、自然と色々な人との繋がりを大切にしながら、好奇心を持って勉強し、日本を変えるような強い気持ちを持って大学に来てください。
― : 先生が研究していらっしゃる経営工学とは具体的にどんな分野なのでしょうか?
西 平: 私の研究している経営工学とは経営で起こるいろいろな問題を工学的なアプローチで解決しようとする学問です。私はもともと工学部の出身で制御工学を研究していました。制御工学とはいろいろな現象を数理モデル-数式として表現し、その性質を調べたり望む性能を達成したりするにはどうすればいいかを考える学問です。おもしろいのはロボットの手を動かすのと倉庫の在庫管理をするのは同じような数理モデルで表現できることなんです。
― : それはどんな意味なのでしょうか?
西 平: ロボットの研究者はロボットの手を効率よく動かしたいと思い、数理モデルとして数式を使って解析し設計します。倉庫の在庫管理は経営者がいかに効率よく倉庫を活用するかについて数理モデルを使い、解析して調整します。そのほかにも数理モデルを使って効率のいい配達ルートを考えたりします。このように数理モデルを使っての解析や設計というのは電気、機械、情報などの様々な工学系の学問のほかにも経営の問題にも使えるのです。様々な分野に使えるので「横断的学問」といわれています。
― : ロボットと経営が同じような数理モデルで考えることができると知り、大変驚きです。経営工学の面白さとはなんでしょうか?
西 平: 数理モデルとして表される対象であれば何でも統一的に取り扱えるのが魅力ですね。
― : 先生は大学に入る以前から、この数理モデルについて研究なさりたいと考えていたのでしょうか?
西 平: いいえ。大学入学当初はインターネットが一般に普及しだしたばかりのころだったのでネットワークの勉強がしたかったのですが、勉強していくうちにいろいろ使える横断的な制御工学の勉強がしたくなり、制御工学の道に進みました。
― : 最後に高校生に一言お願いいたします。
西 平: 勉強はいろいろなものに応用ができます。なぜこんなことを勉強するか疑問に思うこともあるかもしれませんが、思わぬところで役に立つことがありますからいろいろなことを学んでほしいですね。大学に入ってからも、社会に出てからも応用が利く幅広い教養を身につけてほしいと思います。
― : 先生は会計学を研究されていますが、具体的にどんなことを研究してらっしゃるのでしょうか?
洪 : 会計学は財務会計と管理会計の2つに分かれています。管理会計は企業の経営管理者に会計情報を提供することです。私が研究しているのは財務会計です。
― : 財務会計とは何でしょうか?
洪 : 財務会計とは企業の経済活動を会計情報利用者、つまり株主や債権者に向けてのその企業の財務諸表などの作成にかかわる分野をいいます。会計学(Accounting)はAccount(説明)という言葉から由来し、企業の内部者や外部者に「説明」するのが会計学です。
― : 難しそうですね。
洪 : でも家には家計簿があるでしょう?
― : はい、あります。
洪 : 企業の家計簿が財務諸表です。違うのは家の家計簿はお金の出し入れという一面だけを書きますが、企業の財務諸表はお金の出し入れのほかに、何を手に入れたかのようなもう一つの面もあらわしています。したがって株式や商品のような資産や債務がどれくらいあるかが分かります。
― : それをみたら、企業が今どんな状況にあるのかわかるのですね。
洪 : そうです。しかし、そのためには複式簿記を勉強しなければなりません。財務諸表は複式簿記というビジネス言語で書かれていますからですから、そのルールを知らないと読めません。
― : 先生はどうして会計学を勉強しようと思ったのでしょうか?
洪 : 私は韓国人なのですが、大学に入学した1970年代後半は韓国はちょうど高度経済成長期でした。そのような経済環境を背景に大学の仕組みも大きく変わり、経営学部に新たに会計学科という学科ができました。私は高校まで会計については何も知りませんでした。大学に入るときに会計学という新しい分野の勉強ができると思い、会計学科に入りました。
― : 好奇心旺盛な学生さんだったのですね。
洪 : 実際に会計学を勉強してみたら、会計学は論理的で面白かったです。しかし大学を卒業するときに会計学をまだ本当には理解していないと思い、大学院に行き、さらに日本に留学しようと思ったのです。
― : 先生はなぜ日本の会計学を勉強しようと思ったのでしょうか?
洪 : 会計学は世界共通のビジネス言語です。韓国語で書いてあろうと、日本語で書いてあろうと、研究対象は同じなのです。だから日本、韓国とこだわることなく会計学を勉強しています。
― : では最後に高校生に一言お願いします。
洪 : マスコミや他人の言ったことを鵜呑みにせず、自分の頭で考え、自分の心で感じてください。
― : 先生のご専門は国際金融論ですが、具体的にどのような学問なのでしょうか?
山 口: 国際金融論は大きく分けて二種類のことについて研究しています。一つは為替相場がなぜどのように変動するのか、変動すると何が起こるのかを研究します。もう1つはマネーの国際移動についてです。海外にお金を投資したときにどのような影響が起こるのかについて研究します。また国際金融危機も研究の対象です。なぜ国際金融危機が起こるのか、どのようにして防止すればいいかについて研究するのも国際金融論の分野です。
― : 今、世界でサブプライムローン問題という金融危機が起こっています。
山 口: アメリカの金融機関が売り出した低所得者向け住宅ローンです。新しいタイプの金融商品だったので、誰もリスクについて予測できなかったのです。ローリスク・ハイリターンとして売り出したのですが、実際はハイリスク・ハイリターンの商品でした。しかも普通は一般の人々は住宅ローンに投資することは難しいのに、証券化したために誰でも買いやすくなってしまったのです。そのため世界中の銀行が投資しました。しかし結果は破錠し世界金融危機が起こりました。
― : だからサブプライムローンをたくさん買っていたアメリカの銀行が破産したのですね。
どうして先生は国際金融論の研究者になったのでしょうか?
山 口: 私はもともと銀行に勤めていました。97年、香港支店に勤めているときにアジア通貨危機が起こりました。そのころのアジアは7~8%の経済成長を続けていて、「アジアの奇跡」といわれていました。それが一気にマイナス成長になったわけですから、大混乱です。しかし私は何が起こったかわからず、呆然としていました。そのアジア通貨危機の原因を追究したいと思ったのがきっかけです。
― : 国際金融論の面白さとはなんですか?
山 口: 一見、生活に関係なさそうに見えますが金融危機が起こると、世界中に影響を及ぼします。その金融危機の原因などを調査し、次に起こることを予測するのが面白いですね。
― : 高校生に一言お願いします
山 口: 物事を単純に考えることが大切です。経済は複雑ですが、何が重要かを見極めて、本質を突き止め、単純化することができます。大学で本質をつかむ面白さを味わってほしいですね。
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